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湿血帯不快指数

湿血帯のお知らせ、管理人の雑記など、じめじめ

「霊酒つくよみ(後編)」のプロトタイプ

いい加減あと少しなのだが、この段階が一番時間を要するので試験的に此処にアップしてみようと思う。新刊の事もあり、なかなか立て込んでいる。

※校正前という事になるので、普段以上に誤字脱字、文脈に乱れが見られる筈ですがご了承ください。また完成版は色々と変更点が有る可能性が御座います。
※長いので読みたい方は下の方にあるつづきはこちらからどうぞ。



「コーヒーにがい」
「あららら、ゴメンね~そうよね子供にはちょっと苦いわよね」
猫撫で声のタヱが鳴海へと視線を投げ、いつもの語調に戻る。
「ねえ鳴海さん、牛乳なんかは無いのかしら?」
「ウチは牛乳取ってないからなぁ」
ヘラヘラと答える鳴海だが、その返答は事実とは異なる。
人修羅が調理に使用するからと契約し、毎朝一本だけは確実に配達されているのだから。
鳴海が目撃した事が無いだけであり、空き壜も毎日回収されている。
僕は冷蔵の棚を開き、ブフの様な冷気に一瞬さらされつつ壜を取り出した。
「有りますよ」
「まあライドウ君ありがとうっ、私とした事が鳴海さんの言葉を鵜呑みにしちゃったわ」
汗をかき始めた壜を手渡せば、葵鳥がにっこりと微笑む。
僕は特に微笑み返す事もしない、口角は常と変わらず上向きだ、問題は無い。
「しかし葵鳥さん、僕はその子供を連れて行かねばならぬ所が有るのでしてね」
「はーい牛乳入れたら少しは飲み易くなるからね~」
「あまり遅くなると面倒なのですよ、聴いております?」
「ライドウ君に珈琲淹れてもらうなんて久々ねえ、ホラ、最近は矢代君に淹れて貰ってばかりだったじゃない」
「其れを飲ませ終えたなら、もう連れ発ちますから」
「そういえば矢代君は何処?」
自らも冷製珈琲を啜る葵鳥、真横に居る子供の正体も知らずに……
「のめる~」
「ね、飲み易くなったでしょう?大人になったら牛乳入れなくても飲める様になるからね~」
「つめたい、のどひんやりする」
葵鳥さん、そいつは成長したところで珈琲を飲めば眉を顰めますよ。
舌の感覚が鈍ろうと、豆の苦味には敏感だったそうですからね。
今そうして笑顔を振り撒き、珈琲牛乳を飲み込んでいるのも、涼を得ているからこその快感でしょうに。
そいつは人間とは違うのだから……
「しっかしアレねえ、ライドウ君も大変ねえ。鳴海さんの尻拭いだなんて」
ソファ横にて、出立待ちの姿勢で佇む僕に投げられた言葉。恐らくは、勘違いをしている。
この女性記者、何事も推察するのは良いが全正解だった事は皆無なのだ。
「残念、鳴海所長の隠し子では御座いません」
「あらそう、これは失礼」
「僕の知る限りでは、所長が起こした帝都での与太事は“過ぎたツケが災いし、その場でスーツを剥がれた事”と“梅毒に感染した事”程度です」
「何それちょっと詳しく聴かせて頂戴」
「其処に当人が居りますのでね、直接訊いた方が早いかと思いますよ」
「だって絶対正直に答えてくれないもの、ねえちょっとライドウ君ってば!」
珈琲を勢い良く噴射した鳴海は、染みになったシャツの上を脱ぎにかかっていた。
すぐに洗わねば落ちぬだろうが、生憎と洗濯係は不在……もとい、休暇中なのだ。
袖を引っ張る葵鳥をやんわりと制し、僕は革鞄の中から引き抜いた数枚を突き付ける。
「……んま」
「今後マッポが蔓延るでしょうね、まだ産まれたばかりの事件です」
「この景色からすると……晴海?公式発表はまだって事よね……ねえ、この写真何処で手に入れたの?」
「フフ、僕の珈琲代は高いですよ葵鳥殿」
「前はタダで淹れてくれたじゃないの、もぉ~っ」
写真と引き換えに、手帳の切れ端を受け取る。
走り書きではなく、清書済みだ。つまりこれは書き写した物。
学者や各界の著名人から、彼女が個人的興味で集めた質疑応答の結果達。
こういったものは、頭の隅に留めておくほど意外な所で繋がるので重要だ。
葵鳥にとっても、用途は多用だろうが……確か彼女はノンフィクション作家を志しているので、その為の下地なのだろう。
「有難う御座います」
「まぁ良いけれど……でも私より先にデビューしたら、怒っちゃうわよ?」
「書評としての解説を書いて差し上げましょうか?」
「意地悪ねっ、もう!」
すっかり飲み終え、脚をぶらりぶらりと泳がせている人修羅の肩を叩く。
ソファから降り、葵鳥と鳴海に小さな手を振って別れを告げた人修羅。
僕はその掌に紋様が浮かんではおらぬかと、普段なら気にも留めない事で神経を削っていた。


霊酒つくよみ(後編)



「あのおじさんからもらったシャシン、タエちゃんにあげちゃったの?」
「君が気にする事では無い」
「ねえねえ、やーくんもシャシンサツエイしたい」
「そんな暇は無い。全くね、そもそも君がぐずって起きぬから朝倉記者に捕まったのだよ」
「どうしていそいでるの?ライドウ」
無回答で良いだろうか、述べた所で幼い頭では理解も出来ぬだろう。
僕は子供が好きでは無い、そして使い魔として機能しない悪魔は不要なのだ。
「おかあさんもいそがしそうだった」
「君には父が居らぬのだから、当然さ」
「でもおやすみのひにね、やーくんあそんでもらってたの。どうぶつえん、すいぞくかん、ゆうえんち……」
僕とて、幼い頃に縁は有った。
野生の獣が住まう山、水妖が引きずり込んでくる水辺、からくり仕掛けの修験界。
「えほんもよんでくれたよ!やーくんときどき、とちゅうでねちゃったけど……」
書物は数え切れぬ程読んできた筈だが、思い起こせば児童向けの物を読んだ記憶が無い。
読んだ記事の中に“絵本”という記述を見た程度だ。
帝都に出た際、歯車が噛み合わぬ事の無い様に。日本國の流行り廃りを頭に叩き込んだ、冊子を取り寄せてまで。
田舎が都会が、などという問題では無い。僕はただ「葛葉一門であれ」「一門はカラスの手足となれ」と、教育される己を呪っていた。

<夜よ、そなたの両親など、おらぬ>
<そなたの父は里と思え>
<帝都は母なのだ>

愚かしい……ヤタガラスめ。
世に産まれ出でる子の、父も母も人の形をしている事を……僕は幼き頃から知っていた。
偶々、親の居らぬ捨て子だからと、好い様に洗脳するつもりだったのだろうが……僕は愚鈍であるつもりは無い。
ゴウト童子が一門の在り方を変えようとしていようが、それすら関係無い。
幼き頃には既に、岐路に立たされていた、それだけだ。
「わあ、クルマだ!」
「電車の無い方面に行くからね、車の通れる所までは此れで向かうよ」
郊外にてオボログルマを召喚し、後部座席へと人修羅を促す。
扉はゆっくりと自動で開閉するので、人修羅が一段と増した興奮を見せる。
「タクシーみたい」
「似た様なものさ。コイツが判断して動かしているのだから、車体でもあり運転手でもある」
「ライドウがうんてんしないの?」
「だから云ったろう、この車が運転手なのだよ」
助手席の後部を人修羅の席として、僕はその隣に乗り込む。
がらんどうとした運転席には、ゴウト童子がするりと跳び乗った。
『お主が操舵を取らぬとは、珍しいな』
「後ろで勝手に粗相をされては困りますのでね、とりあえずはオボログルマにやらせようかと」
『云いながらにして運転席には猫か、フッ』
「前方確認はお任せしますよ童子」
車体が微振動にて暫く唸りを上げた後、車窓からの景色が流れ出した。
窓に張り付く人修羅が、外と内とを交互に見ては訊ねてくる。
「はしってる!? おとしなかったよ、ぶるるっていわなかった」
「仕組みが違うからね」
「しくみ?」
「油で走る車とは違うのだよ」
「あーっ、やーくんしってる、でんきじどうしゃっていうの!でもテレビでしかみたことない……」
「電気とも違うよ……この車も君と同じだというに、判らないのかい?やはり色々と退行しているな」
背の高い建造物は最早遠く。流れ往く景観は、鮮やかな緑や夏の空雲ばかりとなってきた。
田園と向日葵畑が地平を埋める箇所では、人修羅が窓を開けようと辺りを探り出した。
『開ケマショウカ、御主人様』
唐突に響く声に覚えが無い為か、動きを止める人修羅。
僕と童子にとっては慣れた声音であり、何者が発しているかも承知している。
「開けずとも良い、身を乗り出して落ちられては面倒だ」
『貴重品ヲ運搬中、了解』
「……僕の方の窓を開けて貰おうか、速度は落とすな」
『後方確認、了解』
「硝子は全開。前方に障害物が居る場合、対象に応じて判断しろ。通行人回避、攻撃してくる者は轢け。進路は道なり、竹林が見えてきたら知らせ給え」
リボルバーの撃鉄を起こす僕に、人修羅が着座位置をずりずりと寄せて来る。
景色よりも、声の正体に興味が湧いたのだろう。
「ねえ!もしかしてしゃべってるの、このクルマ!?」
「あまり此方に来ないで欲しいのだがね」
「ねえねえ、やーくんもクルマとしゃべっていい?」
開いてゆく窓、頬を撫でる風は少し湿り気を帯びている。
西日が眩しい時刻だが、進行方向と逆を今から見るので問題は無い。
相手からは此方が逆光で判別し辛くなり、好都合だ。
「オボログルマ、僕以外の指示は無視し給え」
『了解、十四代目葛葉ライドウノ音声ノミヲ認識』
「あーっ、いまライドウいじわるした!」
「何が意地悪なものか、これだから子守りは好かぬのだよ」
後部硝子から既に確認済みの、オートバイ。
西日に染まる茜色では無い、車体が真紅をしている。
『赤バイ……警察か?』
「それを装った別の連中でしょうね。交通取り締まりの赤バイであれば、車一台に対し複数追尾は非効率的」
ゴウトが座席の背もたれから顔を覗かせるので、僕はリボルバーを握った手を、軽くフロントに仰いだ。
フウッと啼いた黒猫は、やれやれといった素振りで姿勢を直す。
そうだ、童子には前を警戒しておいて欲しいのだ。仲魔だけでは判断に迷う要素も有るだろう、予測運転が大事である。
『追って来るという事は……どう読むのだライドウよ』
「読むも何も、現状から察するにガマの使いでしょう」
『ほう、随分と云い切るな。もしも警察ならば如何するつもりだ?今の速度が取り締まりの対象であれば、奴等は本物かもしれんぞ?』
「そうですね、制限は16km/hと定められておりますので、現在このオボログルマは50km/h程度の超過に御座います」
『堂々と違反中ではないか!一旦銃を納めろライドウ!しっかり確認をしてから臨戦態勢に入れ』
「大丈夫ですよ童子、警察の輸入した車両は《米国インディアン社製、1,000cc》、追尾してくる連中の車両はその形とは異なります。そして普通のオートバイに、ここまでの速度が出せる筈が無い」
開かれた窓縁に、銃身をカツリと傾けてみたが、黒ずくめのライダー達は車間距離を変えずに追走して来る。
だが、先頭車両を運転する者の動きが、少し乱れた。
ハンドルを握る片手が一寸離れ、ばたつく襟元を探って再びハンドルへと戻ってゆく。
「あっ、ヒトデさんだー!すいぞくかんでみたのより、おっきい」
座席に膝立ちし、完全に後ろを眺めている人修羅がはしゃいだ。
召喚されたデカラビアが視えている様子に、僕は内心で溜息を吐いていた。
まさかその様な所から教えるつもりは無い、一から教える事は骨が折れる。
『ふむ、同業者だな』
「銃を見たならば、警察は止まるでしょう。オートバイに乗りながらの銃撃戦は不利ですからね、銃撃無効の悪魔を盾とした方が早い……僕も今、こうしてオボログルマに乗っておりますしね、フフ」
『……近付いてきているな、デカラビアがそろそろ追いつくぞ』
「童子は先の障害物確認を願います、後ろの相手は自分が致しましょう」
シートベルトを片脚に巻き、其処を触媒にしてMAGを流し込んだ。
油でも電気でもないのだ、この車を動かす燃料は。
「やーくんもシートベルトする?」
「そうだね、大人しく前を向いていておくれ」
「でもヒトデさん、もっとゆっくりみたい」
「オボログルマ、もう10km/hほど加速し給え」
「またライドウいじわるした~!」
平行に身体を向けたデカラビアが、回転しながら此方へと目掛け迫る。
試しに一発見舞ってやれば、即座に身体を傾け五芒星の盾と化す。
それならばと継いで二連射。二発目の照準をややずらし足の隙間を狙ってみれば、軸を回転させ足に当てているデカラビア。
「フフッ、なかなかに調教されている」
巨大な眼がくわりと見開かれたのを確認し、乗り出していた身を車内へと引っ込める。
あれは衝撃魔法を発する前兆だ、オボログルマを更に加速させる事を優先しなければ。
脚に喰いこむベルトがジリジリと吸い上げるMAG。隣でじっと見つめてくる人修羅が、その蛍光色に眼を光らせている。
「おいしそう」
ぽつりと呟かれた言葉が、脳内で勝手に低音となって復唱された。
本来の人修羅は僕のMAGに逐一賛美などしなかったが、餓えた身体に注いだ時の眼はそれでも充分に訴えてくる。
言葉など不要な程に鮮明な輝きを帯び、それはそれは格別なものだった。
『引き離せるのか?お主にしては悠長だな、更に召喚されたら厄介だぞ?この車は狭い、砦にも棺桶にも成り得る』
「連中、僕等の足は止めない筈ですよ。目的地の近隣まで案内させるつもりでしょうから」
『ははあ、例の蔵元か?』
「その通りに御座います」
迫るザンダインが畦道を掃除するかの如く、砂埃を巻き上げ草木を拓いた。
車体がその攻撃に揺れる事は無かったが、オボログルマが一瞬クラクションを鳴らしたので、恐らくテールにかすめたのだろう。
『御主人様、五百メートル先ニ竹林ヲ確認』
「そうかい、では僕に操舵を任せておくれ」
僕は人修羅をシートベルトから抜き上げ、座席の背凭れを乗り越え前方に移る。
担がれた人修羅はきゃっきゃと笑いされるがまま。愉しい予感に胸を躍らせているのだろう、呑気な奴。
『ライドウ、竹林にこのままでは突っ込む形になるぞ』
「だから僕が運転すると云ったのですよ。ああそうそう、お次は後部確認を願いますね童子」
『簡単に云いよるなお主、速度が緩まったので後ろの危険度が増したろうが、それを我に――』
「お身体が小さい貴方の方が避けやすいでしょう?」
人修羅を助手席に座らせ、シートベルトで固定する。
わざとらしく手足をばたつかせるので、リボルバーのグリップで脳天をコツリと叩いてやった。
「いたい」
「大人しくし給え、暫く揺れるからね……オボログルマ、前方左席の装甲を固めろ」
「ねえねえ、ゆれるってジェットコースターより?」
「さて如何だろうね?僕はそれに乗った事が無いから判断しかねる」
「やーくんもしんちょうたりないから、まだのれないの」
「それでは比較出来ぬではないか、例として挙げるでないよ。本当に話の筋が通ってないねえ君」
「あのね、でもメリーゴーランドはのれるの、それでモガッ」
「美味しいだろう?分かったら大人しく舐めているのだね」
煩い口には普段ならば銃口でも突っ込む所だが、手持ちの飴で済ませる。
ころころと頬の内側で転がす様子を確認し、僕は小さな唇から指を抜いた。
幼い唾液にほんのりとしたMAGを感じながら、それを外套の端で拭う。
「さて、先述の通り揺れますからね」
『衝突せんのかライドウよ!? 狭い所では相手の方が有利でフギャッ』
がくんと向きを変えた車体に、ゴウト童子も転がった事だろう。
竹林と云っても、まだ隙間の多い範囲だ。遊歩道の名残が車体を通す幅は有る。
此処の地理は僕の方が、追手の奴等よりも把握している。
笹葉に埋もれきらぬ枕木が、オボログルマを揺らし、中の僕等を跳ねさせる。
左右のミラーに竹が掠れるか否かという通路幅だが、まだ速度は落とさない。
『おいっ!フゴッ!運転がっ、荒いぞライドウッ!』
「警告はして御座います、童子っ、フフ……!」
フロントミラーで後方を確認すると、シートを右へ左へと転がる黒玉が視界に煩い。
それを無視し、更に向こう側……車体後方の後続車達を見た。
蛇の様な道、波の様な枕木が、後方のオートバイを振り落としにかかっている。
結局、距離を開けずに追尾してきたのは、召喚されたままのデカラビアだけだった。
『ボベッ!! 』
「さてこの辺りで充分でしょう、オートバイの質は良くとも運転手の技量が足らぬ様子で」
『っく~……止まるならそう云え!』
「童子、シートを引っ掻いたところでオボログルマにダメージが入るだけですよ」
いよいよ途切れた道を見て、アクセルペダルから完全に靴先を離した。
「御苦労様、此処で降りるよ」
『車体損傷報告……外部、目立ツ箇所無シ。内部、シートニ掻キ傷有リ』
「巻き上げた砂埃と笹葉で汚れたろう、次の機会に洗ってやる」
『オプションサービス要請、MAG満タン』
「もう10km/hほど加速が出来たら考えておこう」
『ムムム無理難題』
「そうかい?ドクターヴィクトルは90km/hまでは問題無く出せると述べていたがね……おい帯電するでないよ、寒い朝に洗車してやろうか?」
シートベルトの金具に静電気を感じ、諫めれば次の瞬間に刺激は失せた。
雷電属が時折見せる反抗態度は共通しているが、この車の場合は顕著に現れる。
「いまビビッてした、ふゆじゃないのにセイデンキ」
「もう降りる、少し走るよ」
「やーくん、ゲタだとうまくはしれない……だっこ」
折角合うのを買ってやったというのに、この始末。
火を点ける事は身体が憶えていた癖に。
「ねえライドウ、さっきのキャンディもういっこちょうだい」
「簡単に云うでないよ、金丹なのだから」
オボログルマを管に戻している僕の外套を掴み、衣嚢を勝手に漁っている人修羅。
何も目ぼしい物が無かった様子で、すぐに小さな手を抜き去った。
「きんかん?のどあめだったんだー!ねえねえもうないの?」
悠長に会話している暇は無いので、勘違いを訂正する事も無く走り出す。
人修羅を横目に見れば、まるで追い駆けっこの始まりかといった様な眼で僕を見つめ返し追従してくる。
第三カルパでの駆け引きでは、笑顔なぞ一瞬も無かったというのに、現金な奴め。
『金丹なぞくれてやったのかお主、子供騙しで良いのだから駄菓子で充分だろうが』
「安物ではすぐ噛み砕かれてしまいますよ童子。美味しい物なれば長く楽しむ為、舌上で遊ばせるでしょう?」
舌を噛まぬ様にくれてやった飴だが、同時に傷を負った時の癒しにもなる。
様々な意味での保険であったし……単純にくれてやりたかった。
口寂しいが煙草を切らせた時に、僕も飴代わりに舐めるから。
一般的なサマナーの見解では、ゴウト童子の価値観が恐らく正常なのだろう。
しかし、僕にとっては賽銭箱に五萬を突っ込む事と、何ら変わりないのだ。
「あっ!ライドウ!」
人修羅が唱えると同時に、僕も飛び退く。
互いに避けたその空間を、縫い止める様に一閃が貫く。
剥がれ落ちた笹の葉の絨毯を舞い上がらせ、立ち昇るMAGはぐらぐらと形状を留めていた。
『鷹円撃…!』
「トリグラフでしょうかね。とりあえず俊敏とは言い難いヨモツイクサを召喚する程、愚かでは無いでしょう」
『次に備えろライドウ。人修羅も今回は避けたが、毎度上手くいくとも限らぬぞ』
「承知して御座います、童子。数十秒だけ壁を張りましょう、勘定は僕がします」
会話の間、既に二撃目が投擲されてきた。
刀を翳しMAGを揮えば、一瞬だけの防御壁を成す。
ただし、それは僕しか守れない狭いものであり、状況打破には適さない。
鷹円撃にしては妙に出が早いと思ったが案の定、二撃目のそれはMAGの槍では非ず。
適当な長さに伐採された竹槍だった。
「やれやれ、此処は針山かい」
ぐずりと竹槍を抜き取り、土に汚れた切っ先を向こう側にして構える。
竹色の隙間から現れた“星”へと目掛け、思い切り投擲した。
『イッダァァアィ!大当たタリィィ!』
眼のど真ん中に見事的中し、歓声を上げ墜落するデカラビア。
MAGを流せばどの得物だろうが、物理法則を捻じ曲げる程に美しい軌道で飛ぶ。
泥塗れの切っ先は鉛の様に、飾りの笹葉は矢羽の様に。
鮮明に思い描く程、理想通りの武器と化す。
完璧な模倣は出来ぬが、決して悪魔だけの技では無い。
『青丹色の隙間から視えるぞ……お主の読み通り、トリグラフだ。まだ遠いが、時間の問題だな』
「笹の葉音がしますね、また投げ撃つつもりでしょう。フフ…MAGを節約するとは、しみったれた悪魔め」
『少しはお主も、そういう教育をしたらどうだ?』
「出し惜しみで説教部屋に行くのも、畜生に魂魄を移されるのも御免ですからね、ゴウト童子」
落ちた流れ星を確認しつつ、指の砂埃を軽く掃う。
人修羅のすぐ隣へと管を振り翳し、竹の様にすらりと長いアレを喚んだ。
『んおぉっ?儂を召喚するとは珍しい、他の雷電属がバチバチッとボイコットでもしたかぁ?』
ミシャグジは杖で、自らの殆ど無い肩を叩きハフハフと笑った。
仲魔の中では随一に気長だが、今はそれを要さない。
「周囲にプラント・オパールが密集している、電撃は避け給え」
『よしっ、んぢゃここでひとつ儂の色じかけを――』
「継承させた蛮力の壁があるだろう、あれを切れ目無く頼む」
残念そうに体幹をくねらせつつも、術を唱えたミシャグジ。
あの体格でそこそこの移動速度なので、人修羅を指して命じる。
「その子供を抱きかかえ、僕に追従しろ」
『ほほ、可愛い小僧っ子じゃのぉ、ほ~れよしよし』
杖を背に携え、人修羅の身体を横に抱くミシャグジ。
好好爺と対照的な幼顔は、普段の功刀を彷彿とさせる不満気なそれだ。
「おじちゃんやだ」
『取って喰ったりはせんぞ~』
「おちんちんみたいでやだぁ、ぅえ~ん」
『よしっ、マーラを見せてやれぃライドウよ、面白い事になるぞ~』
運ばれるだけの人修羅と、舌が有るかも判らぬミシャグジとは違い、僕は走りながら呑気に会話なぞ出来ぬ。
蛮力の壁は、一回の詠唱で約十二秒間保たれる。
ミシャグジの魔力と逆算し、管に戻す機を計っているのだ。
マーラとのイチモツ観賞会をさせるつもりは無い。
やや急いている僕は、そんな気分にはなれなかった。



「フロイトが男根期として提唱している様に、あの年頃の男児ならば歓ぶと思ったのですがね」
『個人差があるだろうが!それにミシャグジさまだぞ?一般的に見れば不気味な相貌だろうに』
「もう人修羅も泣き止んだ事ですし、良いでしょう?」
童子の応酬に付き合う余裕も出てきた頃には、鬱蒼とした場所に辿り着いた。
トリグラフの馬は細身だが、それすら阻むかの様な竹林を抜けてきたのだ。
もはや道など無いに等しい、時折現れる獣道が足下を涼しくさせるだけ。
縁の無い者かられば、同じ場所を歩き続ける錯覚を抱くであろう。
「ライドウ、ここどこ?」
「竹林だよ、林というよりは森が正しいかな」
「ぐるぐるしてない?すすんでるの?ずーっとおなじばしょだよ」
「進んでいるさ、頭上の隙間を御覧。そろそろ輝く月が見えてくるだろう?大凡の時刻が分かれば、照らし合わせて方角は知れる。更に日が落ちれば星が見えてくるね、カシオペアとおおぐま座が見つかれば北極星の位置が分かる」
「せいざ?でもずかんみたいに“え”がでてないからわかんない…」
「君ねえ、図鑑の様にして空に浮かんでいる訳が無いだろう?」
ある程度の距離を離せば、後はその開きを大きくする為に歩くだけ。
鷹円撃の不穏な風切り音も一切止み、周囲の木漏れ日も失せて一切闇。
頭上の天体より一足早く、ゴウト童子の眼が輝きを増した。
「すごいほしたくさん、もしかしてここプラネタリウム?」
「だから竹林だと云っているだろう。それに星は普段通り、さして凄い事も無い」
「だって、やーくんのおうちの2かいからみると、あんまりいない」
それはそうだろう。
あの未来の建造物の量、高さ、伴う窓灯り。
街中なぞいっそ、真夜中の方が目を刺す光に溢れていた。
「キャンプいったの、そこだとたくさんほしあった」
「何処だろうが星の量は同じさ」
「でもいくのたいへんだから、プラネタリウムでいいや」
「横着者、先刻走った時とて平然としていたじゃないか」
「ライドウもプラネタリウムみよう、いっしょにいこ。すわったままぼーっとみてるの、さっきのライドウみたいにせつめいしてくれるの。ライドウなんでもしってるね」
別に僕は、どちらの空でも構わない。
闇に覆われ、火に縋る生き方だろうが…
神霊の類が嘆く、煌々とした人間臭い世界だろうが…
(人間の居ないボルテクスはどうだった)
出張先、という感覚しか無かった。それこそ異界の様なものだと。
人修羅は、あの世界を嫌っていた。
頭上に天体は無く、半分も機能しておらぬ文明の残骸と荒野。
人間の名残を持った思念は居るが、地縛霊の様に其処に留まり、まるでオブジェだ。
あの、付き合いの良いとはいえない人修羅が、人の居ない世を拒んでいた。
今の人懐こい、幼いこれに訊けば分かるのだろうか。
(そんなに人恋しかったのか、と)
少し振り返ると、外套を掴んでいた人修羅がそろそろと歩みを緩める。
物云わぬ僕を、不思議そうに見つめ返してくる、その眼はうっすらと金の色。
「どうしたのライドウ?つかれちゃった?」
「馬鹿にするでないよ、そろそろ着く」
ああ、馬鹿だ。
この人修羅は己の立場が分かっていない、まだ家も母親も在ると思ってすらおりそうで。
人に自ら寄り添う姿を見ていれば分かるではないか、訊くのも馬鹿馬鹿しい。
「ほんとだ!なにかみえてきたー」
見つけ次第走り出す人修羅、その帯を咄嗟に掴み耳元に囁いた。
「勝手に動くようなら、またミシャグジに運ばせるからね」
「おちんちんやだ」
「名前で呼んでやり給え」
結局、外套に縋らせたまま進む。
竹、柳、松で鬱蒼としていた地帯が少し開けてくる。
同じく開けた空より射す月光が、周辺の彩度を上げた。
半開きだったり閉じたりしている、薄桃の蓮達。
手摺の無い簡素な橋が、蓮葉の海を両断している。
年季の入った石造りの橋で、部分的に緑が彩る。鮮やかな苔の色だ。
「こんどはほしじゃなくて、おはな」
「沼地だからね、橋から足を踏み外さぬ様――」
伝えている傍から、さっそく片足を橋から落とす人修羅。
衿をぐいと掴み引き寄せれば、片方の下駄が湿った色へと模様替えしていた。
落ち切らずに済んで良かった、案外深いので面倒な事になる。
美しい蓮の佇む沼は、泥が濃いのだ。着物をこれ以上汚したら、正午が泣くだろう。
新しい着物を買ってあげると云えば、更に泣く事違い無し。やはり子供はどれも厄介だ。
「ぬれちゃった」
「渡りきった先に寺院が在る、其処で洗わせて貰う」
「ごめんなさい」
「謝れば良い子という訳では無いよ、分かっている?」
「おこってる?ライドウ……」
「汚れたいのなら、好きにすれば良いさ。下駄も沼に落としては、見つける事は諦めた方が良いだろうね。君が捜している間に、僕は先に行ってしまうからね」
語気を荒げたつもりは無いが、人修羅の眼は一石投じた水面の様に潤んでいた。
外套を握る小さな腕が震え、感情を発露させるかの如く斑紋がしとしと滲む。
『お主が抱きかかえておけば早かったろうに』
ぼそりと呟く黒猫を蹴っ飛ばし、沼地に沈めてみたい衝動に駆られたが、ひとまず却下する。
僕が抱きかかえてしまっては、襲われた際の応戦手段が限定される。
一度引き離したとはいえ、此処に追手が来る事は予測済みだ。
『此処が例の蔵元なのか?随分と辺鄙な処に構えたものだな』
「廃堂として放置されていた寺院を、少しばかり拝借致しまして」
『外装は朽ちている様子も無いが、中は大丈夫なのだろうな?廃墟で休憩が取れぬお主では無いと思ってはいるが』
「元の劣化も少なかった、綺麗なものですよ。近隣に温泉も御座います、そもそもは湧出したそれに伴い建てられた寺ではないかと」
『……葛葉の物でもなければヤタガラスの物でもない、お主個人の物……とな?』
「その通りに御座います、どちらの息がかかっていても臭くて敵いませぬから……フフ」
『別件依頼で小遣い稼ぎしていると思ったら、知らぬ間に滅茶苦茶だなお主は』
蓮池を越えた先、ひっそりと佇む寺院は人の気配が無い。
入口に差し掛かった辺りで、近くの燈籠がひとつ灯る。
出迎えたのはオオクニヌシ、此処を総轄させている僕の仲魔だ。
『先日見えたばかりというのに、どうなされたのですか葛葉様――…』
挨拶も早々に、その眼は一直線に人修羅へと注がれている。
真顔から徐々に眉を顰め、次の瞬間には嗚咽でもしそうな顔になり、僕に向いた瞬間には謎の破顔をしていた。
誓いの様に片手を翳し、清々しい微笑みのままに述べられる。
『大丈夫、私は貴方の味方です。出来てしまったものは仕方が無いじゃあないですか。お忙しい貴方に代わり、此方で預かりましょう』
「云っておくが、隠し子でも何でも無いからね」
『申し訳ありません』
「女性なんて面倒だからねえ、子供を作る訳ないだろう、ねぇ…?」
『耳が痛いです』
「“阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 多久豆怒能…”」
『ああっ、その歌はお止め下さい!』
深々と頭を下げるオオクニヌシ、こいつは仕事は出来るが女癖が酷い。
複数の女性悪魔から私刑に遭っていた所を泣きつかれ、僕が拾ったのだ。
「さて本題だが、この後すぐに醸造出来るかい?一瓶分もあれば充分だ」
『おお……まさかこんなにも早くクレームが発生するとは……責任を以て対処致します。処分はお好きになさって下さい。煮るなり焼くなり…合体素材にして下さっても結構です』
「あのねえ、流通させて無いと云ったろう、早とちりが過ぎる」
『申し訳ありません』
「謝れば良い子という訳では無いよ、分かっている?」
人修羅が外套の影で、ころころ笑った気がする。
同じ台詞で注意を受ける大男を見て、可笑しくなったのだろう。
「陰陽の調整率を変えて、陽を引き出せ。それをこの子に飲ませる」
『事情がお有りの様子ですね、もしやその子は人の子では無い?』
「つくよみを飲んだ人修羅だよ」
『ああ噂の人修羅ですか、はは、なるほどなるほ…………』
朗らかだった眼が、ゆるゆると困惑のそれに変わってゆく。
相手にしていた女性悪魔から仕入れた噂だとすれば、僕も噛んでいる内容だろう。
「余計な詮索はしなくて宜しい」
『はい』



入口で立ち話を続けるのは御免だったので、早速人修羅の足を洗ってやる事にした。
もうすぐ元の形に戻るのだ、この子守りともようやくおさらば出来る。
「ここ、おてら?」
「そうさ、今は寺院として機能していないけれどね」
「おっきななべ……ぐつぐつしてる……ごはんつくってるの?レストラン?」
「酒を造っているのだよ」
講堂では悪魔達が灯りも無しに、いそいそと働いている。
回廊から覗きこむ様にすれば、逆に覗き返す一部の悪魔。
人修羅はそれに少しばかり驚いて、僕の脚を掴んできた。
「いっぱいいる」
「それほど大勢では無いさ、せいぜい八体……」
「つくったごはん、すぐにたべちゃうの?あそこでモグモグしてたよ」
「違うよ、あの連中も造っている真っ最中だ。口噛み酒という物があってね、穀物を口に入れて噛む事で発酵させるのさ」
人修羅よりも、ゴウト童子の方がぎょっとしている。
その様な製法が存在する事は認知していたと思われるが、それを悪魔にさせるとは思わなかったのであろう。
「えーっ、でも食べたごはんとか、おさけにならないよ」
「すぐに変化する訳ではない。唾液の成分が穀類を糖化させ、それを寝かせる事で天然酵母が発酵し、デンプン質がアルコール化する……まあ、悪魔の場合は都合が変わってくるけどね」
「むずかしい…わかんない」
「それよりも君、あの光景を気持ち悪いとは感じなかったのかい?」
「なんで?よくかんでたべなさいって、おかあさんもいってた」
炊いた穀物を悪魔にひたすら噛ませ、魔力を帯びたそれを今度は霊水と合わせ……
日本酒の醸造とほぼ同じだが、寝かせる行為は発酵の為というよりもMAGの固着を促す為だ。
「あっ、こっちにもはっぱ!」
回廊を進めば、講堂の奥も一望出来る。
まるで工場見学の気分だろうか、人修羅は先が気になって仕方が無い様子だ。
僕の外套をしきりに引いては、あれは何だと質問責め。



とりあえず、ここまで。
後はもう一悶着あって終わりです。其処が一番書きたかった所なので、一番見て欲しい所でもあります。
仕事から帰ってまだ気力があれば、勢いのまま仕上げてサイトにアップしたいです。

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