「ブログのダンテ主見ました!」 の方宛て
お返事遅れまして(いつもの事)申し訳なく…(´・ω・`)
先程ようやく合作漫画の脱稿をした為、保留しておいたお返事をこうして書いております。
実はあの作品…交流のある方が最近元気なく過ごされていて、ちょっとした娯楽になればと思い仕上げたものなのです。(腰痛も患っていたので、そういうテーマで書きました)
なので、敢えて人修羅の名前を出さずに進行させました。
名を呼ばないのは「仲間になって間もない頃」といった空気も醸して、少し新鮮でした。
>振り返ってみると平和な話ほとんどない
思わず笑ってしまった一文。
そうなんですよ、せいぜいほのぼの(に見せかけた苦悩フラグ)が一場面有るか無いか程度で、終始一貫平穏な話はほぼ無いです。
今作の様な短文であれば書き切る事も可能ですが、創作欲求として「激しいものが作りたい」という一念があり、穏やかな話を浮かべにくい性質にあるようです。
ここにおける激しさというのは、戦闘頻度や世界観・倫理観の荒れ方というよりも「キャラ(読者)の心を抉れるか」といった内面的な要素に対しての姿勢です。
お涙頂戴したいとか、ほっこりさせたい、萌えさせたい、などあまり考えた事はなく…
読んでいて心臓がぎゅうっとなるようなものが書けたら嬉しいです。
女神転生は基本的な世界設定のベースが実世界日本である為、悪魔という存在が居るにも関わらず追体験しやすい世界観だと思います。
実際に悪魔や魔人(半魔)など……身近に居たらどうなのか、利用し合うのか共生可能なのか。
法はどうなるのか、差別はあるのか。想像の余地が多い作品です。
此処のライドウと人修羅は、「人間に馴染めず悪魔に寄り添ってきた」者と「差別対象である悪魔になってしまった元人間」というはみ出しものコンビであり、彼等はまず考え方からして真逆なのでぶつかり合いやすい。
夜の言動に対し、当初ヒドイとは思っていてもその過去を知ると「ちょっと可哀想、仕方ないね」と思う読者はどれだけいるのか? 果たして生い立ちや環境は理由(酌量)となるのか?
サマナー活躍の場は治外法権的なので裁かれる事はなさそうですが、いわゆるカルマは積まれる一方で、それを引きずりつつも無視して生きる彼。作中で彼に優しい言葉をかける人は少ないですが、それは少し意図的に書いてます。他者の介入しづらい内容が主で、同業者であれ夜の性格を知っていれば慰めない者が殆どだと思います。
《人間なのに人間に馴染めない》
これは「群れる必要が無い」と考えそのスタンスで生きれば解決し、
《人間の群れに居られない悪魔(元人間)》
これはそのまま「“自分が人間ではない”所為」が落としどころになります。
どちらが容易いか、不幸であるのか、読む人によって意見が割れる所でしょう。
ダンテは上記のどちらにも該当しないので、両者の良きサポート役になれます。
同時に“どちらの気持ちも理解出来ない”可能性も高く、相手からもそう判断される場合があります。それは「人間と悪魔の両方を持ち合わせているが、純粋なハーフ」である為、どちらの生き方にも50:50で意識を向けられる(実際、年齢を重ねたダンテは気侭に生きているように見える)
ライ修羅は摩擦は大きいが噛み合い、ダンテ主は寄り添い続ける事は出来ても噛み合う事は無い。そんなイメージの作品傾向があります。
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