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湿血帯不快指数

湿血帯のお知らせ、管理人の雑記など、じめじめ

「長編 2-18」のプロトタイプ
冒頭のみ、あまりにマザコンなので一瞬何のサイトか忘れる。
母親の台詞は、長編1章の序盤と一部一致します。
これの後は、ほぼ戦闘描写の予定です。
右下の「つづきはこちら」からどうぞ。



「遅くなっちゃったけど、おめでとうやーくん」
それとなく肩を強張らせた俺に気付いたか、母が噴き出しつつグラスを手にした。
シャンパンの泡の向こうで、まだ笑っている。
「個室なんだから平気でしょう」
「平気とか、そういう問題じゃなくて……」
「もう高校生になるんだし、って?」
「そうだよ、その為に来てるんだろ」
高校受験の合格内定はもっと前に貰っていたが、予約が取れなかった。
俺は別に広間のテーブルで構わないと云ったのに、母が頑なに個室を取りたがったから……
日程調整の関係も有り、とうとう入学直前という時期になっていた。
合格祝いというよりも、入学祝いが正しい。
「見て、あそこの屋上で宴会してる」
「何処」
「ほら、あっちは公園でお花見してる。 まだちょっと早いんじゃない? 桜が開ききってないでしょ、桃色が薄い」
「だから何処」
このレストランの位置が高過ぎて、瞬間的に判別出来てもせいぜいビルの屋上までだ。
地上なんかは建造物に阻まれ、かすかな隙間からしか覗かない。
窓硝子は大きくパノラマを透かし、高所恐怖症にとってはおぞましい空間となっている。
「そんなのよく見えるね」
「母さん若い頃、よくジャニーズのコンサートとか行っててねえ、それがすんごい端っこの席ばかりで」
「オペラグラスとか有るだろ」
「持って行ったのが、玩具みたいなやつだったのよ。 それだからもー結局ボケボケ、裸眼だと本当に豆粒レベルにしか視えなくってねえ」
「極小サイズの人間は見慣れてるって?」
軽く掲げられたグラスに合わせて、俺も軽く携えた。
当然、此方のグラスにアルコールは入っていない。
確定した合格を蹴る趣味も無いし、電車で酒臭い酔っ払いを見てきた身としては、今後も避けたい飲料だった。
「やーくんも、双眼鏡買う時は気を付けなさいね。 ポロ式とダハ式って有るんだけど、コンサートならダハね、小さいから」
「一生縁が無さそう」
「あっ、でもダハはポロの倍は値段するから。 もしポロと同程度の値段で売ってたら、それは買っちゃダメよ~」
「オペラグラス通してまで観察したい人間が居ない」
俺の返答に、母は困った顔をするでもなく、ニコニコと流していた。
友人からはノリが悪いと云われ、教員からはもっと遊んでも良いと云われ。
周囲から見た俺は、朴念仁か無関心の塊に見えるのだそうだ。
母だけは軽く笑い飛ばしてくれていた、理由は判明している。
俺が、母くらいにしか“余計な事”を話さないからだ。
「野鳥なんかでも良いのよ? 二輪免許取るんでしょ、ツーリング先でこう」
「俺、鳥とかよく分からないから……」
「この鶏美味しいよやーくん! ほら、母さんの分もあげようか?」
野鳥の話を始めた瞬間に、ナイフで鶏肉を切り裂いている母。
あべこべな様子に、今度は俺が噴き出してしまう。
「《ランド産地鶏プーレジョーヌのモモ肉のロースト》……だって~」
「食べるの早くない? 俺まだ主菜いってない」
「いいのよ~ゆっくりで、個室は落ち着いて食べられるでしょ? マナー気にし過ぎるより、ラフに食べたいじゃないの」
「だからって、予約で躍起にならなくても良かったのに」
《北海道産生ししゃものエスカベッシュ ヴェルジュのソース》を、俺はようやく平らげた。
コース料理の半ばで、いつも不安になる。
全部食べきれるのかという、胃袋も悩みも小さい事なのだが……気にし過ぎだろうか、皿の上に残す事だけは避けたい。
「エスカベッシュって、つまり南蛮漬けでしょ」と、嬉々として発した先刻の母を思い出す。
それくらい大雑把に捉えた方が、もっと楽なのかもしれない。
「千晶ちゃんも合格したのよね、呼べば良かった?」
「いいよ、あの家なら同じ料理を自宅で食えるだろ」
「ちょっとちょっと、流石に毎日こんな豪勢には無理でしょうよ。 それとも、女の子と同席するの恥ずかしいかな?」
よりによって橘の話、飯が不味くなる。
そういえば、此処の水族館に小さい頃来たのだが、橘も一緒だった気がする。
あの頃の事は、実はよく思い出せない。
学校生活においての“手抜き”を覚えてからは、鮮明なのに。
「どうして恥ずかしいんだよ。 話振られると面倒なだけだ、妙に説教くさいし…… あの人の相手は母さんがしろよな」
「照れちゃって、流石は高校男子」
「そう思うなら、呼び方止めて」
「やーくんって? ふふふ、いいじゃん、だから個室にしたのにぃ」
「そんな理由で」
再びシャンパンのグラスを持つ母が、また肩を揺らす。
炭酸の抜ける音なのか、くつくつと笑う声なのか判らなかった。
「そうですね、じゃあ中学時代のやーくんと決別という事で……これからは呼ばない事を、ここに誓います」
「待って、別に駄目って云ってないし。 人前でそれはどうなんだってだけで……此処は戸一枚隔てた外に大勢居るし、だから」
「それでは、デザートのええと……《フロマージュブランのムースとアプリコットジャブのクレープ包み》を半分くれたら呼んであげよう」
「ジャブって何だよパンチかよ、酔ってるだろ、こんな真昼間から……」
「ほらやーくん、ナイフが止まってる!」
「ゆっくりで良いんじゃなかったのかよ……」
急かされ、引いたナイフが光を反射する。
外は薄曇り、白い東京の天井が個室の壁の様で。
目に痛い青空や、硝子を突き抜ける陽射しが無くて助かったと感じていた。
嫌いでは無い、煩わしいとまでは云わない。
明るい事に、いちいちはしゃぐ人達についていくことが面倒なだけで。
それでも、咎めるまではしないのだから……俺は、不健全では無い筈。
「どう? ご感想は?」
「何が」
「此処で食べたいって、やーくん云ってたじゃない」
違う……
こないだ、新しい営業先の人が此処の話出したって、自分で云ってたくせに。
その人が此処に興味有るって、ソファでELLE見ながらダラダラ喋ってたじゃないか。
話を合わせられた方が良いんじゃないのか、交渉とかを此処でしたり……
折角個室が有る店なんだし……こうして二人きりの方が、話もし易いだろ。
何云っても、平気――……
……密室に二人きり?
「母さんが最近売り込んでる先の、よく話に出てくる人……名前忘れたけど」
「ああ、吉岡さん? そういえばね」
「自分でも着たりする人?」
「んん~そうそう、お母さんの仕入れたワンピース気に入ってくれてね、早速着てくれたのよ! まだ寒いのにねー鳥肌立てて着てるのが、ちょっと笑っちゃって! だって今仕入れてるんだから、夏物よ夏!」
女性……なら良いか。
正しい感想を云う気になれた。
「此処、個室も静かで良いよな。 その人との打ち合わせにでも使ったら?」
「あらっ、やーくんったら気が利く事云うの。 もう大人ね~やっぱりやーくんって呼ばない方が良いかなあ?」
「足腰曲がろうが、親にとっては死ぬまで子供だろ」
「んもーどっち扱いしたら良いのか、困らせるねぇ!」
「ほら、あげるから……」
デザートを半分にカットして、テーブルの中央に皿を滑らせた。
嬉しそうに目を輝かせる母を見ながら、折角の休日に仕事話を出した事を、今更悔いた。
久々に席を共にしたので、精一杯話してしまう。
自分と直接関係も無い事に、疑心暗鬼になる。
本当に俺が行きたい所なんて、実は無いのかもしれない……
此処に来たいと述べた希望すら、嘘に近い気がする。
確かに、フレンチのコースだなんて夢が有るけれど、優先事項は其処じゃない。
「でも、出歩くのも面倒だし、俺は今後暫く家で良いよ……」
「若いのに、池袋まで来るのすら面倒!? なかなかジジイね」
「俺が作れば文句無いだろ」
「やった~矢代シェフのおすすめコースだ~」
「おいちょっと待って、そんなに作るとか一言も云ってない」
早く高校を出たい。
入っても無いのに、もう浮足立っている。
バイトして貯金して、頭金は自分で……
大学を出たら、自宅から通える範囲に就職して、福利厚生がしっかりした会社に入社して。
母さんが、生業ではなく趣味で仕事が出来る様に……
年金が貰えるか雲行きの怪しい国政だ、しっかり別で貯めておかないと。
「シャンパンおかわりしようかしらぁ」
「大丈夫か?」
「此処、眺めが良いからついつい……にしてもね、こんなに洒落てるなら、もっと遅い時間帯が良かったかな」
「どうして」
「やーくん、いつかデートするでしょ、ほらぁ……予習は何でも大事だしねぇ……」
「ディナータイムにだって家族は居るだろ、しかも母さんの顔見たら予習にもなりゃしない」
そうだ、いつか結婚しなくては。
俺が不在の間、母さんの事を大事にしてくれる人。
ただ……どうやって、そんな相手を見付けるんだ?
付き合って、長年かけて情が生まれて、義理の親を大事に思う……なんて流れが理想だが。
付き合うには、好意が必要で。
不純の無い、周りから白眼視されない交際理由というものは……恋愛。
その恋愛っていうのは、どういう感覚なんだ。
いくら本を読んでも、映画を観ても、クラスメイトから与太話を聴いても、具わらない感覚。
家族に対する情愛とも違うなら、未だに抱いた事すら無い事になる。
「どしたの矢代、具合でも悪い?」
母の声音が、少しトーンダウンした。
心配されている、俺のつまらない不安で不安にさせている。
「じゃあ……夜にこういう処来れば、女性はデートだと思ってくれるの?」
「……ぶっ! 何をいきなり云い出すかと思えば、さっきの話気にしてたの?」
「だって、女性って皆云ってる事がバラバラ過ぎて、何をアテにすべきか分らない」
「まー此処なら文句はそうそう出ないでしょう、夜景が既にポイント高いよぉ~エキゾチック・ジャパン」
「やっぱり酔ってる……」
歌い出しそうな母からグラスを取り上げ、紙ナプキンで縁を拭った。
軽く塗られたリップカラーが、白にこびりつく。
くど過ぎないが血色の好く見える色、最近の母はもっぱらこれを使っている。
滞在期間が短いほど、色彩が記憶に残る。
俺の普段の真っ白な脳裏に、そのまま転写されるかの様に。
「だぁいじょうぶ、ちょっとインパクトに欠けるけど清潔感有るから問題無い、どんな娘連れてきてもOK、なんなら母さん出てくし」
「いいよそんな心配しなくたって!」
椅子から尻が浮いて、テーブルクロスが腿の上に弛みを作った。
向かいで一瞬眼を見開いた母が、俺の険しさをなだめる様に首を傾げた。
「矢代、昔みたいに食べさせてあげようかぁ」
「はぁ?」
「彼女との“はいあーん”の予行練習。 ホラ、口開きぃよぉ」
差し出したデザートが一口分切り分けられ、スプーンの先でムースがひんやりと冷気を湛えている。
それを此方に突き出してきた母に、戸惑いつつも薄く唇を開いた。
「そうそう、大人しく子供は親の言う事聞くの~」
調子の良い母に、調子の良い俺。
似た者同士だった。
其処で記憶はブツリと途切れ、違う声音にすり替わる。

――ボクの子になるんだから――




嫌な場面に侵蝕され、脳が凍り付いた。
先刻、此処を訪れた時には考えない様にしていたのに。
母と食事に来た思い出も、今となっては苦痛を呼び覚ます。
そうだ、マガタマを喰わされた時も、母の夢を見ていた……



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