冒頭のみ、あまりにマザコンなので一瞬何のサイトか忘れる。
母親の台詞は、長編1章の序盤と一部一致します。
これの後は、ほぼ戦闘描写の予定です。
右下の「つづきはこちら」からどうぞ。
母親の台詞は、長編1章の序盤と一部一致します。
これの後は、ほぼ戦闘描写の予定です。
右下の「つづきはこちら」からどうぞ。
「遅くなっちゃったけど、おめでとうやーくん」
それとなく肩を強張らせた俺に気付いたか、母が噴き出しつつグラスを手にした。
シャンパンの泡の向こうで、まだ笑っている。
「個室なんだから平気でしょう」
「平気とか、そういう問題じゃなくて……」
「もう高校生になるんだし、って?」
「そうだよ、その為に来てるんだろ」
高校受験の合格内定はもっと前に貰っていたが、予約が取れなかった。
俺は別に広間のテーブルで構わないと云ったのに、母が頑なに個室を取りたがったから……
日程調整の関係も有り、とうとう入学直前という時期になっていた。
合格祝いというよりも、入学祝いが正しい。
「見て、あそこの屋上で宴会してる」
「何処」
「ほら、あっちは公園でお花見してる。 まだちょっと早いんじゃない? 桜が開ききってないでしょ、桃色が薄い」
「だから何処」
このレストランの位置が高過ぎて、瞬間的に判別出来てもせいぜいビルの屋上までだ。
地上なんかは建造物に阻まれ、かすかな隙間からしか覗かない。
窓硝子は大きくパノラマを透かし、高所恐怖症にとってはおぞましい空間となっている。
「そんなのよく見えるね」
「母さん若い頃、よくジャニーズのコンサートとか行っててねえ、それがすんごい端っこの席ばかりで」
「オペラグラスとか有るだろ」
「持って行ったのが、玩具みたいなやつだったのよ。 それだからもー結局ボケボケ、裸眼だと本当に豆粒レベルにしか視えなくってねえ」
「極小サイズの人間は見慣れてるって?」
軽く掲げられたグラスに合わせて、俺も軽く携えた。
当然、此方のグラスにアルコールは入っていない。
確定した合格を蹴る趣味も無いし、電車で酒臭い酔っ払いを見てきた身としては、今後も避けたい飲料だった。
「やーくんも、双眼鏡買う時は気を付けなさいね。 ポロ式とダハ式って有るんだけど、コンサートならダハね、小さいから」
「一生縁が無さそう」
「あっ、でもダハはポロの倍は値段するから。 もしポロと同程度の値段で売ってたら、それは買っちゃダメよ~」
「オペラグラス通してまで観察したい人間が居ない」
俺の返答に、母は困った顔をするでもなく、ニコニコと流していた。
友人からはノリが悪いと云われ、教員からはもっと遊んでも良いと云われ。
周囲から見た俺は、朴念仁か無関心の塊に見えるのだそうだ。
母だけは軽く笑い飛ばしてくれていた、理由は判明している。
俺が、母くらいにしか“余計な事”を話さないからだ。
「野鳥なんかでも良いのよ? 二輪免許取るんでしょ、ツーリング先でこう」
「俺、鳥とかよく分からないから……」
「この鶏美味しいよやーくん! ほら、母さんの分もあげようか?」
野鳥の話を始めた瞬間に、ナイフで鶏肉を切り裂いている母。
あべこべな様子に、今度は俺が噴き出してしまう。
「《ランド産地鶏プーレジョーヌのモモ肉のロースト》……だって~」
「食べるの早くない? 俺まだ主菜いってない」
「いいのよ~ゆっくりで、個室は落ち着いて食べられるでしょ? マナー気にし過ぎるより、ラフに食べたいじゃないの」
「だからって、予約で躍起にならなくても良かったのに」
《北海道産生ししゃものエスカベッシュ ヴェルジュのソース》を、俺はようやく平らげた。
コース料理の半ばで、いつも不安になる。
全部食べきれるのかという、胃袋も悩みも小さい事なのだが……気にし過ぎだろうか、皿の上に残す事だけは避けたい。
「エスカベッシュって、つまり南蛮漬けでしょ」と、嬉々として発した先刻の母を思い出す。
それくらい大雑把に捉えた方が、もっと楽なのかもしれない。
「千晶ちゃんも合格したのよね、呼べば良かった?」
「いいよ、あの家なら同じ料理を自宅で食えるだろ」
「ちょっとちょっと、流石に毎日こんな豪勢には無理でしょうよ。 それとも、女の子と同席するの恥ずかしいかな?」
よりによって橘の話、飯が不味くなる。
そういえば、此処の水族館に小さい頃来たのだが、橘も一緒だった気がする。
あの頃の事は、実はよく思い出せない。
学校生活においての“手抜き”を覚えてからは、鮮明なのに。
「どうして恥ずかしいんだよ。 話振られると面倒なだけだ、妙に説教くさいし…… あの人の相手は母さんがしろよな」
「照れちゃって、流石は高校男子」
「そう思うなら、呼び方止めて」
「やーくんって? ふふふ、いいじゃん、だから個室にしたのにぃ」
「そんな理由で」
再びシャンパンのグラスを持つ母が、また肩を揺らす。
炭酸の抜ける音なのか、くつくつと笑う声なのか判らなかった。
「そうですね、じゃあ中学時代のやーくんと決別という事で……これからは呼ばない事を、ここに誓います」
「待って、別に駄目って云ってないし。 人前でそれはどうなんだってだけで……此処は戸一枚隔てた外に大勢居るし、だから」
「それでは、デザートのええと……《フロマージュブランのムースとアプリコットジャブのクレープ包み》を半分くれたら呼んであげよう」
「ジャブって何だよパンチかよ、酔ってるだろ、こんな真昼間から……」
「ほらやーくん、ナイフが止まってる!」
「ゆっくりで良いんじゃなかったのかよ……」
急かされ、引いたナイフが光を反射する。
外は薄曇り、白い東京の天井が個室の壁の様で。
目に痛い青空や、硝子を突き抜ける陽射しが無くて助かったと感じていた。
嫌いでは無い、煩わしいとまでは云わない。
明るい事に、いちいちはしゃぐ人達についていくことが面倒なだけで。
それでも、咎めるまではしないのだから……俺は、不健全では無い筈。
「どう? ご感想は?」
「何が」
「此処で食べたいって、やーくん云ってたじゃない」
違う……
こないだ、新しい営業先の人が此処の話出したって、自分で云ってたくせに。
その人が此処に興味有るって、ソファでELLE見ながらダラダラ喋ってたじゃないか。
話を合わせられた方が良いんじゃないのか、交渉とかを此処でしたり……
折角個室が有る店なんだし……こうして二人きりの方が、話もし易いだろ。
何云っても、平気――……
……密室に二人きり?
「母さんが最近売り込んでる先の、よく話に出てくる人……名前忘れたけど」
「ああ、吉岡さん? そういえばね」
「自分でも着たりする人?」
「んん~そうそう、お母さんの仕入れたワンピース気に入ってくれてね、早速着てくれたのよ! まだ寒いのにねー鳥肌立てて着てるのが、ちょっと笑っちゃって! だって今仕入れてるんだから、夏物よ夏!」
女性……なら良いか。
正しい感想を云う気になれた。
「此処、個室も静かで良いよな。 その人との打ち合わせにでも使ったら?」
「あらっ、やーくんったら気が利く事云うの。 もう大人ね~やっぱりやーくんって呼ばない方が良いかなあ?」
「足腰曲がろうが、親にとっては死ぬまで子供だろ」
「んもーどっち扱いしたら良いのか、困らせるねぇ!」
「ほら、あげるから……」
デザートを半分にカットして、テーブルの中央に皿を滑らせた。
嬉しそうに目を輝かせる母を見ながら、折角の休日に仕事話を出した事を、今更悔いた。
久々に席を共にしたので、精一杯話してしまう。
自分と直接関係も無い事に、疑心暗鬼になる。
本当に俺が行きたい所なんて、実は無いのかもしれない……
此処に来たいと述べた希望すら、嘘に近い気がする。
確かに、フレンチのコースだなんて夢が有るけれど、優先事項は其処じゃない。
「でも、出歩くのも面倒だし、俺は今後暫く家で良いよ……」
「若いのに、池袋まで来るのすら面倒!? なかなかジジイね」
「俺が作れば文句無いだろ」
「やった~矢代シェフのおすすめコースだ~」
「おいちょっと待って、そんなに作るとか一言も云ってない」
早く高校を出たい。
入っても無いのに、もう浮足立っている。
バイトして貯金して、頭金は自分で……
大学を出たら、自宅から通える範囲に就職して、福利厚生がしっかりした会社に入社して。
母さんが、生業ではなく趣味で仕事が出来る様に……
年金が貰えるか雲行きの怪しい国政だ、しっかり別で貯めておかないと。
「シャンパンおかわりしようかしらぁ」
「大丈夫か?」
「此処、眺めが良いからついつい……にしてもね、こんなに洒落てるなら、もっと遅い時間帯が良かったかな」
「どうして」
「やーくん、いつかデートするでしょ、ほらぁ……予習は何でも大事だしねぇ……」
「ディナータイムにだって家族は居るだろ、しかも母さんの顔見たら予習にもなりゃしない」
そうだ、いつか結婚しなくては。
俺が不在の間、母さんの事を大事にしてくれる人。
ただ……どうやって、そんな相手を見付けるんだ?
付き合って、長年かけて情が生まれて、義理の親を大事に思う……なんて流れが理想だが。
付き合うには、好意が必要で。
不純の無い、周りから白眼視されない交際理由というものは……恋愛。
その恋愛っていうのは、どういう感覚なんだ。
いくら本を読んでも、映画を観ても、クラスメイトから与太話を聴いても、具わらない感覚。
家族に対する情愛とも違うなら、未だに抱いた事すら無い事になる。
「どしたの矢代、具合でも悪い?」
母の声音が、少しトーンダウンした。
心配されている、俺のつまらない不安で不安にさせている。
「じゃあ……夜にこういう処来れば、女性はデートだと思ってくれるの?」
「……ぶっ! 何をいきなり云い出すかと思えば、さっきの話気にしてたの?」
「だって、女性って皆云ってる事がバラバラ過ぎて、何をアテにすべきか分らない」
「まー此処なら文句はそうそう出ないでしょう、夜景が既にポイント高いよぉ~エキゾチック・ジャパン」
「やっぱり酔ってる……」
歌い出しそうな母からグラスを取り上げ、紙ナプキンで縁を拭った。
軽く塗られたリップカラーが、白にこびりつく。
くど過ぎないが血色の好く見える色、最近の母はもっぱらこれを使っている。
滞在期間が短いほど、色彩が記憶に残る。
俺の普段の真っ白な脳裏に、そのまま転写されるかの様に。
「だぁいじょうぶ、ちょっとインパクトに欠けるけど清潔感有るから問題無い、どんな娘連れてきてもOK、なんなら母さん出てくし」
「いいよそんな心配しなくたって!」
椅子から尻が浮いて、テーブルクロスが腿の上に弛みを作った。
向かいで一瞬眼を見開いた母が、俺の険しさをなだめる様に首を傾げた。
「矢代、昔みたいに食べさせてあげようかぁ」
「はぁ?」
「彼女との“はいあーん”の予行練習。 ホラ、口開きぃよぉ」
差し出したデザートが一口分切り分けられ、スプーンの先でムースがひんやりと冷気を湛えている。
それを此方に突き出してきた母に、戸惑いつつも薄く唇を開いた。
「そうそう、大人しく子供は親の言う事聞くの~」
調子の良い母に、調子の良い俺。
似た者同士だった。
其処で記憶はブツリと途切れ、違う声音にすり替わる。
――ボクの子になるんだから――
嫌な場面に侵蝕され、脳が凍り付いた。
先刻、此処を訪れた時には考えない様にしていたのに。
母と食事に来た思い出も、今となっては苦痛を呼び覚ます。
そうだ、マガタマを喰わされた時も、母の夢を見ていた……
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