群青 様宛て
ぼんやり過ごしていたら、拍手メッセージ頂いてから結構経過してました…(;・∀・)
申し訳ない!(←許してもらえると思っている体)
合同誌の感想って(個人誌も出しているとそっちをメインに頂くせいか)頂ける頻度が案外少ないので、嬉しいです。
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今回どうして雷堂を出したのだっけ、と振り返ってみると。そうだ超力をクリアした際にふと浮かんだのだった……と、既に過去の記憶と化しております。
あの“14代目葛葉ライドウ(雷堂)”を客観視する感じが、なんともいえず面白かったですよね。
喋らない(性格付けされていない)主人公だから、プレイヤー各々のライドウ像が有ると思うのですが、それを肯定してくれる要素ではないでしょうか。
とかなんとか言いつつ、書いた脚本は「いつも通りのライドウ&雷堂」でしたね。
アバドン王より超力の方が、メインシナリオ上での「葛葉ライドウの扱い」が具体的に見えました。任務のスパンが短く、ライドウを当てにしすぎ、かつ負担が大きい(理不尽)なイベントが多かったせいでしょうか。
アバドン王は他の葛葉も居るし、鳴海が妙に働くし、国家云々いうシナリオではなかったので全体的には「帝都を救うヒーロー」感が強調されていた気がします。
超力ってノリはアッパッパーでしたが(おい)なんとなく泥臭いんですよね。大人は肝心な部分を開いてくれないし、機関にはいいように使われるし、ラスボスも言ってしまえば縁者だし。
宇宙や未来まで話は飛ぶものの、事件性や関係性は非常に狭いものが多いと感じました。
これは悪いと言っているのではなく…プレイヤーが一体化(感情移入)し易い構成だな、と思ったのです。
(アバドン王は逆で、事件範囲は狭いもののメインテーマというか主張みたいなものが概念的であり、普遍的で広い)
超力をプレイし終え、そこで改めて『ああ、やはり自分のライドウは“納得いっていない”』と感じたわけです。
なので、今回の同人誌の様に「立場を捨てる」話を書きたくなったのですね。ただ捨てる人間の主観だと結構長くなるので、置き去られるキャラの主観にしました。
雷堂のあの様子だと、ライドウが行ってしまった事は悲しいのか、寂しいのか、腹立たしいのか、イマイチ自覚は無いのだと思います。一番分かり易い感情は幻滅(彼の唐突な任務放棄による責任感の無さ、を責めている己)なのかもしれませんが、これも直後に思い直すでしょう。
間違いなくライドウの行為に対し「憧れ」があるからです(あの漫画の雷堂は)
ちょっと陳腐な表現ですが、ずっと一緒に進学していくと思っていた友人が、飛び級してさっさと卒業しちゃったみたいな感覚です(学生に責務は生じませんが)
なので群青さんの仰る通り「劣等感」も混ざっているかもしれません。
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コピー本ですが、めっちゃ雑な落書きですいません。
思ったよりも沢山の冊数に描く事になり、イベント中はずっと接客・落書きでした…ハハハ( ^ω^)
ガラクタ集めマネカタ君って結構可愛く描く人が多いじゃないですか(真3発売当初からその様子が界隈に見られた)ちょっとそこへのアンチテーゼが入ったかもしれませんね。
でもあのコピー本の挙動や思考回路は、自分なりに可愛いと思って書いてます
マネカタに対する意識に「あの世界での人間モドキ」という大前提があるので、やはりフトミミ・サカハギはあの集団内においては異質と感じます。
そもそもマネカタ達は「足りない(欠けている)」描写・設定で以て“泥人形”とされ、人間より下位の扱いを受けているじゃないですか。言ってしまえば“能力が平均以下または欠けている、人間の形をした生き物”って、この社会における障碍者なんですよ。※障碍者を貶している訳ではありません。
“身体・思考能力が欠けている、主体性が無い、一部の分野において執着をみせる”など特徴をかいつまんで見ると、マネカタは一致するんですよね。
フィクションの妙で、上の条件であっても人間枠から微妙に外した設定のキャラクター達って、危険視や差別をされにくいと捉えています。
リアルと混同するつもりは無いのですが、どのくらいのユーザーがこの感覚を覚えているかは気になりますね。
ボルテクスでは「マネカタなんぞが決起してコトワリを持つなど」と馬鹿にされ、虐殺されてしまった訳ですが……現実社会で近い構図が発生した時、一体どうなるんでしょうか。
案外大勢の人間が千晶みたいな感情を抱いて、ジェノサイドを肯定するのかもしれないし。
何が言いたいのかというと「マネカタをマネカタたらしめているのは、同族である人間」だなあ、という事です。
千晶の虐殺に憤りを覚える人間って、基本的に健全なんだろうと思います。
私は色々と自信が無いので、あのイベントに関しては否定も肯定もしませんでした。
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余談ですが、小学生時代に面倒をみていた障碍者の子をたまに思い出します。
巧く発音出来ないから喋れないし、いきなり脱走するし、たまに暴れるし。めちゃくちゃでしたけど、じゃれてくるの可愛かったなあ。でもこの記憶は、私が「彼女の無垢な部分」だけ享受していたからだろうと思って、戒めにしています。
身内は相当苦労していた事でしょう。卒業の頃に「これまでのお礼」だとハンカチをくれて、しかし私は親御さん(子供からすると、大人)が泣きながらお礼を言ってくる姿に、正直戦慄してしまった。部外者は所詮何も理解出来ていない、出来ないのだなとその時思いました。
フィクションって恐らく、「愛おしい部分」だけ視る能力が人間に備わっているから、うまくいくのかなあと思います。
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そういえば高校の時も、身体に麻痺がある同級生が居て。マネカタのビクッて動きは、彼を彷彿とさせます。麻痺のせいでうまく発音出来なくて(ゆっくりだが会話は出来る)
口が基本半開きなので、たまに涎も垂れちゃってて(定期的に拭いてたけど、たまに油断してたっぽい)合わせようとすると会話もスローになるし、ぎこちない動作に不安を覚えているクラスメイトも居るようでした(伴侶も同じクラスでしたが「何をしゃべっているのか聴き取れず意思疎通が難しいから、彼とはあまり話さなかった」と後に述べていました。)
私は結構がさつなので、一方的な速度で話しかけました。基本的に健常者扱いしていて、それでも何がタブーや失礼にあたるのかは、接していく中で究明しました。出来ていたかは別として。
彼に気付かされる事も多かった。
私は他者との接触が(同性であれ)苦手で、恋人同士であれば「そういう関係だから」と自分に説明して頭も体も納得するのですが、それ以外の…分かり易いところでいえば友人同士の「手つなぎ」や「抱擁」が苦手でした。親からの抱擁や頭を撫でられるのも、小学生頃から苦手になってたかな…(寝ている半覚醒状態の時は平気)
苦手な感覚として「恥ずかしさ」や「不安(情愛に対する)」が先立っており、とにかく自分から他者に触れる事は無いだろうと思っていたのですが。
件の彼が転倒すれば抱き起せたし、涎が酷ければ拭いてあげられたし。目的と真意がハッキリしていれば、自分は恥じらわずに居られるのか、と思えた。それが彼から貰った、一番大きな気付きでした。
しょうもない話で〆ますが…
全校集会の長丁場で、足が痺れてバランスを崩し、件の彼にしがみついてしまいました(名前の関係で出席番号が前後だった)
不意打ちになった上に普段から麻痺している彼ですから、当然そのまま転倒。二人してぶっ倒れてしまい、周囲は騒然としました。
「よりによって俺を支えにするとは、鬼畜!」と後々まで引っ張られましたが、当の私は大爆笑してました。周囲はどう思っていたのかわかりませんが、私と彼の間では定番ネタ扱いになり、互いに怪我も無かったので良い思い出です。
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