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湿血帯不快指数

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朝、霙まじりの空、白い(雷堂SS)
雷堂のSS、クリスマスの要素が少しだけある。
喜びと疎外感の話。


朝、霙まじりの空、白い


 帆布の鞄に詰め込まれてゆく教科書たちの角は固い。
 当然といえば当然。文机の上から出張する事自体、殆ど無いのだから。
 いつ登校しようが、まるで新入生の様な心地に陥る。
『何がそんなに嬉しいのか、それほど此処に滞在する事が苦痛か?』
 業斗に失笑されたが、最早毎度の事なので制御には到らぬ。
「違うぞ業斗、事件の舞い込まぬ日こそが吉日。かような日こそ平穏に感謝し、一般書生の様に勉学に励むのだ」
『鳴海に小間使いの如く扱われるが嫌だと、正直に吐いたらどうだ』
「もう玄関口の清掃も済んでいるぞ」
『分かった、俺に報告しなくて構わん。勝手に行け』
 登校の機会は滅多に無い、逃す訳にはいかないのだ。
 呆れる業斗は部屋からも出ず、見送りさえもしてくれなかった。



 もうすっかり空気が冷たい。
 昨日も同じ路を通ったというのに、違って感じるのは何故だろう。
 外套が翻ろうとも、腰を真一文字に横切る刀が無い所為か。
 管と脇差は携帯したが、流石に普段よりも体が軽い。
 学校へ行くのだから、この程度が良い。
 あまりに強面ないでたちでは、周囲を怖がらせてしまう。
 皆、我の務めが何かを知っている。
 認知が払拭に至るかといえばその様な事もなく、やはり皆、どこか余所余所しい。
 それだのに、何故我は向かおうとするのか……
 あの学び舎で習う事など、とっくに履修している。通わねば無知、と罵られる事も無い。
 悪魔以外の、同世代の話し相手が欲しい、ただそれだけであった。
 これまで幾度しくじったろうか、周りの者には視えぬを唱えた事。
 葛葉としての修練を受ける以前、同じ事で憂き目に遭ったではないか。
 “普通”の人間には、あれも視えぬこれも視えぬ。
 
 落ち葉の吹き溜まりにて休み、小火を起こすカソの灯り……
 薄く氷膜を作った水路を滑るフロスト達、割れ目に落ちて跳ねた飛沫が寒空に煌めく瞬間……
 玉突き事故の中からひっそり抜け出そうとするオボログルマ、それの零したMAGが銀座大通りを雲母が如く渡る早朝……
 
 何を見付けても、何に感嘆しても、誰も共感してはくれないのだ。
 せいぜい業斗が『ぼやっと見ているな、周辺に被害が及ばんか注意しておけ』と釘を刺してくる程度。
 着眼を、もっと控えめにすれば良いのだろうか。視点を引く、それしか馴染む術はない。
 「あそこに小火が」と野次馬し、氷膜に落ちた子供の手袋を見付け微笑み、大事故に眉を顰め救命に協力する……この様な具合か?
 “何か”が視えていても、素知らぬ振りで過ごせ。
 悪魔の形をはっきりさせていれば判別出来るだろう、いくら鈍感な我でも。
 だから落ち着け、発言の前に一寸考えるのだ。



「珍しい、葛葉君が来るだなんて」
 一番乗りと思っていたが、先客が居た。
 それは脳裏に描いていた人物で、はにかみそうになる口元を引き締めた。
「お……おはよう」
「おはよ」
 我の左隣の生徒で、前に登校した際にも少しだけ会話が有った。
 その前も……ささやかながら、季節らしい話題に胸を躍らせた事を憶えている。
 他人の事を云えぬが、雪の様に白い肌の男で。学生服がいつもどこかヨレていた。
 粉雪でも被ったか、だらしなく伸びた髪が濡れている……風邪をひかぬだろうか。
「帽子は無いのか」
「恥ずかしながら、途中で失くしてしまった」
「この季節に寒かろう、もし良かったら……ひとつ譲ろうか」
「いやいや申し訳ないよ、ぼくはお金も無い」
「遠慮するでない、お古が有るから……その、Ⅹマスの贈り物とでも思って受け取ってくれ」
「はは、舞治屋のショウウインドウもすっかりそういう色だものな。あの大きなモミの木、凄いよなあ」
 大嘘だ、老朽や破損をした学帽は、躊躇いもなく破棄されている。
 役目柄そのような事が多い為、同じものを大量に所持していた。
 この学友に譲るのは、当然新品のつもりだ。
「兎にも角にも、頭は冷やすべきではない」
「本当に良いのかね? にしてもめっきり冷えたものな、葛葉君の家の周りは凍ったりしない?」
「出入口に僅か有る階段が、少々怖い。ストーブで湯を沸かし、朝方にそれを撒いている」
「それがいいよ、土の地面じゃないと霜が溶け残るから……銀座の路面なんか、凍れる朝は酷いもんだよ、あれでは車もスリップする」
 驚く程のとんとん拍子で進む会話。この好調ぶりを意識し始めた途端、緊張感が胸を圧迫した。
 またつまづかぬだろうか、堅気の者にとって“妙”な事を口走ってしまわぬだろうか。
 いっそこちらから、そろそろこの団欒を打ち止めにしてしまった方が――……
 考えあぐね、着座もせずに窓の向こうへ視線を逸らした。
 白くたなびく雲と思いきや、遠くの空を飛ぶあれは……龍だろうか。
 其れが雲か異形か、いまいち判らず押し黙るまま居た。すると傍らに並んだ学友が戸惑う様子も無く呟いた。
「あれ、龍の様な雲だね」
 どこか鼻の奥がつんとして、眼球が潤みを帯びた。
 このままでは感極まって、肩をぎゅうっと抱き締めておいおいと泣いてしまいそうだった。
「ああ……とても、高い処を飛んでいるな」
「葛葉君が云うと、あの雲が本当の龍だと思えてくるな。あのまま天上までいけるかの様な、そんな心地だ」
 最早どちらでも良かった、あそこに見えた正体なぞ。
 同じモノが視えていたと、それが証明されただけで。
 赦された心地に酷く酔い痴れていると、そろそろと他の生徒が教室に入ってきた。
 彼等はいつもの通り、我を訝し気に眺めてはふいと視線を逸らすばかり。
 室内に熱が籠り始めたか、やがて窓を薄曇りが覆い、空の龍は見えなくなった。



『随分と浮かれているな、一人くらいまともに会話でも出来たのか』
 銀楼閣に戻って早々、おかえりの挨拶も無しに業斗から嫌味を云われる。 
 もう正に、業斗の云うそのままだったので、我は得意げになり過ぎぬよう注意して説明した。
 既に幾度か会話はしている、此方を避ける事もしない、彼はとても優しい学友なのだと。
 つまらなそうに聴き入る業斗は、鹿子と檜皮色の縦縞座布団を、尾の先でゆっくりと擦って居る。
 “葛葉のお役目が忙しいだろう”と我のみ放免される課題内容も、聞き耳を立てて確認済みだ。
 他生徒と同じ様に本日の課題をこなそうと、教科書を文机に寝かせた。
 教育心理科の頁を、指の腹で撫でる。≪個性ト個人差≫の項を、暫くぼんやりと読む。
 独り善がりな解釈かもしれないが、この言葉ひとつで全て解決する気さえしてきた。
 我は確かに親も無く、デビルサマナーであり、葛葉雷堂の十四代目だ。
 しかし“それだけ”とも云えるのではないか。
 たった一人に相手をして貰えただけで、自らが帝都住人の一員である安堵が生まれてきた。
「もし……」
 下階からの声と、扉を叩く音がした。事務所の扉を叩いている、鳴海探偵事務所への来客か。
 所長不在の為、自分が応対するしかない。
 膝掛けを払い除け、ひとつ立ち上がり廊下履きに替えた。
 此方の開閉音に見上げてきた女性は、歳の頃なら四十だろうか、もっと若いのかもしれない。
 酷く憔悴した気配が、妙な老いを被せている気がする。
「申し訳ないが所長は不在で――」
「すいません、貴方が葛葉君?」
 まさかの名指しだった、思わず警戒に肩が強張る。
 足元に業斗も寄ってきた、気を抜くなという鳴き声が聴こえた。
「自分に何か」
「探偵事務所ですよね? 何でも、奇怪な依頼だろうと請けてくれるというから」
「何故鳴海ではなく、葛葉……我を」
「うちの息子が云っていたの、貴方は物を見付けるのが上手だと」
「息子……」
「申し遅れてすいません、N森の母です。“同じ学級に居る葛葉君は、人が見落とし易いものまでちゃんと見えている”と息子が……ですから、依頼しに参りました」
「廊下は寒いでしょうに、とりあえず聴かせて頂く、事務所の中へ」
 階段を下り、婦人の横から腕を伸ばして事務所扉を開ける。
 涼やかなベルが一層空気を冷やし、嫌な予感を更に引き立てた。
 我は、N森という苗字に憶えがある……



 すっかり野次馬も掃け、散乱していた部品や破片も清掃されている。
 玉突き事故現場となった銀座も、あの光景を目にしてか車は少ない。
 しかし皆、数日も経てばあっさり忘れて再びハンドルを握るのだろう。
『しっかり捜したのか? こんなもの、悪魔の助力を得ずとも発見出来るだろうが、警察の怠慢だ』
「云うな業斗、きっと現場処理に手一杯だったのだ……」
 現場検証に使役したトールが、人間のニオイに気付いて樹の幹にハンマーを打ち据えようとした為、急いで止めに入った。
 軽く突っ張りをさせる程度に留め、はらりと落ちてきた学帽を掴み取る。
 意匠は弓月の君高等師範学校のもの、やはりどこかヨレていた。
『お前が請けるまでもなかった』
「しょうのない事だ、欠けたものは見付かり難い。今トールに嗅がせるまで、事実異界に転がり落ちていた可能性も有るのではないか」
『嫌に肩を持つな雷堂、子を亡くした婦人に弱いのか?』
「ま、まさか変な意味ではないぞ。学友の遺品を捜してくれと頼まれたなら、誰しも普通は協力を惜しまぬだろうて」
『葛葉を辞めて、いっそサンタクロウスにでもなったらどうだ』
「代わりが居るのならそれも良し」
『少しは憤れ、馬鹿』
 N森の家は貧しい、その為彼は銀座にて、毎朝歩道清掃の仕事をしていたのだ。
 数日前、追突されて歩道へ突っ込んできた車に轢かれ、亡くなったそうな。
 事故現場を目撃したというのに、彼が被害者とは知らなかった。
 既に遺体は運ばれていた可能性も有るが、それより何より悪魔に目が行ってしまったのだ。
 人間の事は、人間が処理するであろうと……必要以上に関わる事は無いと、無自覚にあの時我は……
『それをあの母親に届け、依頼達成か』
「……業斗、察しているか? 件の学友というのは」
『お前が数刻前、得意げに話していた学校の奴だろう』
 図星だ、寧ろ詰って欲しくて問い質している気さえしてきた。
 今、酷く虚しく寒い。いよいよ街灯が遠くで点いた、夕飯時だ。
「我は本日の教室で、誰と話していたのだろうな」
『さあな。とりあえず、もっとしっかり見定める眼を持て』
「だから……後々入ってきた者達は、我をおかしな目つきで睨んできたのだ」
『ハッ、空気と会話していれば、そりゃきちがいに見えるだろうな』



 届け先、長屋の玄関に立つ。頭上の物干しに、喪服が晒されたまま夜風に靡いていた。
 錆びついた様な音で開かれた引き戸、我の手にした学帽を見たN森の母は、目に涙を湛える。
 仏は綺麗に化粧されたそうだ、面会するかを訊かれたが、断った。
 顔が会わせられなかった、色々と気付けずに居た我が情けなくて。
「本当に有難う、話通り謝礼は落ち着いたら」
「いや結構、所長も通さなかったし……これは個人的な行為という事で、金銭を発生させるのは止そうと」
 食い下がる母親を宥め、猫も待たせているのでと業斗をダシにして身を引いた。
 我の足元を見つめるN森の母が、充血した眼を少しだけ綻ばせる
「もう、息子も居なくなってしまったし……猫でも飼おうかしら」
「野良で良いなら、路地にいくらでも屯している。家に上げずとも、軒先で可愛がる事だって出来る。どうか御自愛下され」
「あの子も云ってたけれど、妙に古風なのねえ葛葉君は、それと猫が好きらしいって本当だったんね。お顔の傷が不思議なくらい、穏やかな学友だと――……」
 嗚呼……たった数回の会話にも関わらず、彼は我を憶えてくれていたのか。
 其処に嘘は無い様子で、嬉しく寂しいこの顔を見られまいと俯いた。
「それにしても、綺麗な黄金色の眼の猫ちゃん」
 一瞬何処の猫を指しているか、婦人の言葉が理解出来なかったが。
 此度の件を省みて、一寸置いてから返答した。
「黒毛皮に冬の一等星が如く煌めき、良い特長となりましょう」
 業斗のMAGに光る眼が、この人には視えぬのだろう。
 きっと、それが普通の見え方なのだ。
 この翡翠の輝きは、普通の者とは共有出来ぬ美しさなのだ。


 ひとまず、帰還したらストーブに火を入れよう。
 おろしたばかりの学帽を、再び箱に仕舞おう。


 -了-



戸川純の「Fool Girl(歌詞)」を聴いていたら浮かんだ。
あの疎外感は、ライドウ(夜)よりも雷堂(明)の方が感じているだろうと思い。

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