「死者達のモンタージュ」の続編。pixivには投稿済み。「つづき(SSを読む)」から読めます。
ナナガスっぽいかもしれない。
ナラクの夢から目覚めた私は、ヌエバーガーを食べていた。
殺戮の名残りを噴水で濯ぎ、ナナシの部屋に行く。どこか空虚な団欒の中、一枚の死体写真を見せられた。
ナナガスっぽいかもしれない。
ナラクの夢から目覚めた私は、ヌエバーガーを食べていた。
殺戮の名残りを噴水で濯ぎ、ナナシの部屋に行く。どこか空虚な団欒の中、一枚の死体写真を見せられた。
聖者達のサボタージュ
あの日、天は白い染みひとつ無い青空だった。
その空色で染め上げたかの様な制服に身を包み、二度目のナラクへ赴いた。
悪魔と交渉する事に未だ慣れず、仲魔は空だ。それでも奥へ進まねばなるまい、ガントレットに救難信号が届いたのだから。
同胞の一人が足を挫いて身動きが出来ず、難儀しているとの事である。口頭説明に間違いが無ければ、恐らく二層目辺りの筈。
私は支給された刀を納めたまま、槍で悪魔を薙いでいた。単独の為、少しの気も抜けない。しかし、此処の悪魔共が想定よりも弱い事を、内心笑っていた。三層目ともなれば流石に仲魔の一匹も欲しいだろうが、今回は一人で十分だ。
いよいよ現場が近い……顔もうろ覚えの同期生だが、果たして無事だろうか。先刻より通信も途絶え、不穏な空気が漂っていた。
彼曰く「実施訓練中の為、マイナスになる事は露見させたくない」そうだ。その為に、私単独での迎えを要請してきた訳だ。そんな甘っちょろい考えに苛立ちも感じたが、痛いほど心情は理解出来た。何が足を引っ張るか分からない世界だ、後々まで亡霊の様に道程を邪魔する……そんな障害が在る事も、私は知っている。
きっと、先輩方や親方の手を煩わせたくないというのは、自尊心が故。恥を忍んで私だけに頼み込んできたのは、この実力がよほど印象的だったという事だろう。事実、訓練初日からマトモに得物を扱えたのは、私くらいなものであった。
――うわあーッ
悪魔では無い、この響き方は間違いなく人の肉声。
私は訓練生用の質素な槍を握り直し、気を引き締めて暗がりの角を曲がる――……
「パトラ」
声と同時に、バチンと額に衝撃が走る。
「ガストンさん、起きた?」
此処は……カウンター席だ。私の隣に座るナナシは、掌を宙にひらひらと踊らせ笑う。
「食べながら寝てんだもん、ビビったわ」
云われてふと手許を見れば、むんずと掴んだバンズがすっかり潰れていた。ヌエバーガーを注文している光景は記憶に有る、だがその直前が妙に不鮮明だ。
「美味しい?」
「……いや、よく分からん」
「ガストンさん、コレだけはそんな不味そうに食べて無かったし、好きな方だと思ったんだけど」
「寝惚けているのかもしれん……」
「多分それだ」
頬張るそれは、肉らしき食感と脂っぽさが有る。ただ、味を思い出している時の舌ベロの様な、そんな希薄さだった。柑橘類に齧り付く想像をすれば、じっとり唾液が滲む……あの生理現象。
「ごっそさん」
軽い挨拶で立ち上がるナナシは、私の手から包み紙を奪い丸め、屑入れに放った。銀座のハンター商会の筈だが、普段と比べれば半分以下の密度。がらんどうとした空間を後に扉を開けると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。扉の開いたその隙間を埋めるかの様に、何者かが立ち塞がる。
「おぉっ!?」
驚きに思わず声を発してしまったが、隣のナナシは平然としている。
「忘れちゃってたのガストンさん、フリン外に待たせてるの」
「そ、そういえばそうだったな」
「お待たせフリン、声とかかけられた?」
訊ねつつ通路を進むナナシに、フリンは戸惑いも無く追従する。私も疑問が無い訳では無いが、同じく背中を追う……いや、隣に並んだ。この様に広がって歩こうが、誰の妨害にも成らない人気だった。
「二名通過して往きましたがそれだけです」
「ダグザもウケてたけど、俺達ってグラサン無くてもバレない程度の有名人だったらしい」
「主殿を認めぬ者を排除するまでです」
「フリン、本当にヌエバーガー要らなかった? テイクアウトも出来るよあそこ」
「主殿」
唐突に跪くフリン、一瞬腰の引けたナナシにその手が伸びる。私も槍に手が伸びそうになった、この男の真意が汲み取れず、ただただ警戒する他無い。
「触れる事をお許し下さい」
「公衆の面前で許される程度なら」
「まだ汚れが残っています」
首のスカーフを外したフリンが、それでナナシの頬を拭う。白いスカーフの裏側は、赤黒かった。
「洗ったのに、まだ残ってた?」
「綺麗になりました」
「あー分かったアレだアレ、バーガーのうっすいケチャップ! 色ばっか赤いから、血みたいに見えたんだわ。でしょ?」
「等しく汚れです」
「ありがと。今度からそのスカーフ、よだれかけに借りるね」
「光栄です」
入る隙も無い応酬を、私は黙って聞きながら思い出していた。そうだ、上の交差点で血に汚れた為、其処の噴水で肌を濯いだのだった。しかし、何の軍勢と戦り合ったか、記憶がおぼろげだ。立ちはだかる敵はすぐさま一閃する為、この辺りの弱い連中は記憶に残らない。
「や、でもケチャップまみれとか思われたら流石にダサいから、一度帰ろう」
拭われたばかりの頬を確かめる様に触れるナナシが、視線をターミナルの方へと投げた。
「帰るというのは、何処にだ」
「錦糸町の俺の部屋。男連中は其処で仮眠って決まってるでしょ、ガストンさん」
「そういえば、そうだな……」
「洗濯してやるよ」
おそるおそる己の胸元を見下ろせば、泥と血痕程度の軽い汚れで安堵した。自分の吐瀉物で衣を汚した時の、あの絶望感といったら……無い、あれは無い、二度と許されん。
二度と? 思えばそれは、いつの記憶だろうか……何故、私は吐いたのだろうか。
「あースッキリした、洗濯って面倒だけど気分転換されるわ」
伸びをしながら部屋に戻って来るナナシ。開閉の際、扉の隙間からフリンが「お疲れ様です」と抑揚も無く礼をしていた。だが、そのまま扉は閉じられフリンは廊下へと残される。あの男の上着も洗濯された様子で、私と変わらぬ胴着姿だった。ただ帯刀は確認出来た為、恐らく見張り番をさせられているのだろう。
「ガストンさん、まだ眠い?」
ソファにぼうっと座る私の隣、目掛けて来るナナシがばふりと腰を下ろせば、座面が軽く沈んだ。普段と色違いの、黒いツナギを着ている。洗濯中の予備だろうか、些か布が余っている様に見える。
「眠くは無いが、何処か夢うつつだ」
「もいっちょパトラ欲しい?」
「君のパトラは物理だろう、要らん」
へらりと失笑し、私の眼をじっと見つめてきた君。淡く光るその双眸を見下ろせば、此方の眼が灼けそうな感覚に陥る。
「槍の手入れした?」
「そういえば、まだだったな」
「俺が寝てる間に、いつもやってた」
「その通り。さては君、狸寝入りでもしてたのか?」
思い出す……その眠る背中の小さい事。初めのうちは不安や面倒しか想像出来ずに、寝姿を見ていた気がする。しかし次第に、その背を守らねば……ガタイの大きな私が盾となり矛となろうと。君と共に進もうと、いつの間にやらそんな未来を見つめていたあの日。
「いやいや、俺が横になってからすぐおっ始めてたじゃん。こちとらそんなすぐに寝付けないわ。あと手入れの後さ、ラグの上で腕立てとかスクワットとか、してたよね? ふんふん息遣い荒いし、アレ結構耳障りで寝れなかったんだけど」
「今更云われても困る」
「しかも汗水垂らして頑張っちゃってた? 英気養い過ぎでしょ、ラグ臭いんだけど」
「ぐ、ぐぬ……す、すま」
「っふ、眼がマジ……安心しな、今のは冗談」
人を馬鹿にした笑みで、スンと鼻を鳴らすナナシ。じゃれる猫の様に、私の胴着の衿に鼻梁を擦る。その仕草にどう反応して良いか分からず、私は硬直していた。
「ほらやっぱ……臭くない、何の臭いも無いんだ」
君の吐いた声色、何処か引っかかる。私を安心させる為というより、己に云い聞かせるかの様な……そんな色だった。
微妙な空気をはぐらかす為に、私は槍を持ち出した。そんな術まで覚えていたとは、自分に感心する。
まずは刃先の脂汚れをウエスで拭い、防虫スプレーを噴き付けてからウエスの綺麗な面で拭う。この防虫スプレーは、吸い殻を水に浸して作られた物だ。ナナシが少しずつ溜めた吸い殻は、こうして活用される。更に濃度を薄めて、植物に吹いても効果的だそうだ。
「はいよ」
次の工程を把握するナナシから、錆止めスプレーを手渡された。本来の仕上げは植物性油で磨く訳だが、東京ではこれが手っ取り早い。軽く缶を振り、湿った風を刀身に撒いた。
「それって刺し心地どうなの? 変わった刃先してるけど」
「問題無く刺さるぞ? 穂の形で誤解し易いだろうが、先刃は薄く鋭い」
「へえ、どれどれ」
「触らなくていい!」
槍を引っ込めるのも危険と判断し、結果的に君を突き飛ばしてしまった。
ナナシがソファに背を打つと同時に、扉がけたたましく開かれる。飛び込んできたフリンが刀を抜き、私とナナシの合間を隔てた。刃の冷たい光沢と、フリンの声が五感に刺さる。
「攻撃は反逆と見做す」
「おい! 待て違うぞ! これは危険回避の結果だ!」
叫ぶ私を警戒しつつも、フリンの視線はナナシへ傾く。ぎこちない硝子玉の様な眼だった、濁りも無いが中身も無い。アンティークドールの様に、感情ではなく身体に合わせて動く眼球。そんな操り人形の目配せに、主人がニィと微笑む。
「大丈夫、じゃれてただけ」
「判断出来ず申し訳御座いません」
「……いや、仕方ないよな、その調子じゃ」
嵐が過ぎ去る様に、部屋を出て行くフリン。申し訳ないと云いつつあの男、眉根のひとつも動かさなかった。
私が槍を床に寝かせれば、これを見計らった様子のナナシが再び隣に座った。
「やっぱ扉の外まで筒抜けなんだな、音」
「それにしては隣室が静かだ」
「そりゃそうだよ、誰も居ないし……いや、そういや一人だけ女の子が残ってたけど、あれも抜け殻みたいなものだから」
「抜け殻?」
「データ消去されてるみたいな。夢とか希望とか……未来? そういうのバックアップした先がバグだったから、もうカラッポなんだよ、多分」
不可解な回答に黙る私に向け、スマホを差し出すナナシ。するすると指が項目を展開させ、沢山の写真を流し始める。其処には相変わらず、薄暗くも様々な遺体が色とりどりに表示されていた。
「遺体ばかり写して、愉しいか? 君の幼馴染の方が、写真の腕はともかく被写体のバリエーションは広かったかもな」
「だってあいつのスマホ、錦糸町のハンターのおさがりだから……俺とアサヒがガキの頃の写真とかも入ってたでしょ? 故人を思い出すっつってヘコんだ顔はする癖に、どうしてその故人が撮ったデータ消さなかったんだろ、あいつ」
「君は今だってガキだろう」
「そっちだって三つしか違わんでしょ、あっ、ほらこれガストンさんも写ってるよ」
「ハァ、我ながら生気の抜けた顔だ……」
「だって死体だし」
確かにその写真だけは、他のものと雰囲気が違う。街中の薄汚れた地面とは違う真赤な床、其処に槍を抱えた私が寝ていた。天を見上げ、軽く白目を剥いている。槍の穂先から垂れた滴が、スマホのフラッシュを反射し輝いている。
「本当は腹とかぐちゃぐちゃなんだけど、其処まで写してないから」
「何故だ」
「スプラッターな趣味は無い」
「違う、何故私は死んでいるのかと訊いている」
「解かってると思ってたけど、まだ合点がいってない?」
「これは夢か何かか? 脈絡も無ければ感覚も希薄だ、他の連中が居ないのに君は平然として、そしてフリンはいつの間に君の下僕と化した?」
私がまくしたてると、スマホの腕を退かした君が伸びをした。いつも思う、気まぐれな猫の様な、実に奔放な仕草だと。
「ちょっと上行こう、外の空気と煙草が吸いたい」
相変わらず薄暗く、風も無い空間だ。垂れる前髪が揺れないし、眼の乾きも感じない。
南口の安全域をひとしきり歩いたナナシが、溜息混じりに笑みを浮かべ腰のポシェットを探る。
「今日は誰かしら売りに来てると思ってたけど、ハズレでした」
いつまでも探っているので、何が出てくるのか気になってしまう。しかし諦めたのか、やがて指を抜き去った。
「そういや捨てられたんだった、マッチどころか煙草も無え」
「捨てられた?」
「消耗するタイプの道具一式、まるごとどっさり」
「まだ使える物をか? 東京では御法度だろうに、そんな馬鹿げた事をするのは何処の何奴だ」
「いやいや、ガストンさんの兄貴に廃棄されたんだってば」
兄貴と云われ、脳裏に浮かんだシルエットはかなりコンパクトなものだった。緑に発光し、ふわりふわりと宙を彷徨う……毒にも薬にもならぬ気配の霊。この地に来て暫くしてから気付いた、そいつが亡命した私の兄……その成れの果てだと。
「兄上は何処へ」
「ガストンさんが死んだ時に、一緒に死んだよ。姿も掻き消えてった、そりゃそうだよなユーレイだったし」
「それは成仏と云って良いのか?」
「絶対俺の事恨んでるし、もしかしたら違う姿で復讐の為に蘇ってくるかもね、いや……そういう攻撃的なガッツは無いか、あの人」
「君が殺した理由は……何故だ? ダグザとやらに魂を売ったのか、それの理想に賛同した為か」
フェンスに背を預けては離れを繰り返し、ギシギシと反動を愉しむナナシ。私の話に怪訝な表情をするでもなく、かといって積極的に事の次第を説明してくれるでも無く。霞の様なその言動が、私の認識を妨げている。
「ガストンさんは、生きてる実感ってある……?」
唐突な質問、そして酷く答えに困る内容。真正面に向かい合う事に抵抗が有り、私はナナシの隣に落ち着いた。君に存在を否定された途端、この身が霧散してしまいそうな感覚に襲われる。こうして会話する事も、空気を吸い込む真似も、全てが君によって許されているという狂った妄想。死生観を語れる程、今の私自身が正気では無い。
「もはや判らん……君が何故、我々を殺したのかも……私を再び、傍に呼んだ事も」
「俺だって計画的にやってきたワケじゃないし」
「殺す事への躊躇いは無かったか? 民を裏切る背徳は無かったのか? 君の倫理の形が……見えん」
「もう話せなくなるんだなって思えば、少し寂しい感じはしたね」
「その程度……だったというのか?」
自分で発しておきながら、何処か薄ら寒い。いや、まだ大丈夫だ……これは確認しているだけ、独善の押し付けでは無い。
倫理などと述べたが、これほど不鮮明な概念も無いだろう。他者の唱える倫理など、全てピンボケに決まっている。
自称妖精の女王も、希望の星と謳われたサムライも、戦うは守るべき存在の為だと云っていた。他の為にそこまで尽くす理由……それは恐らく、その先に感謝が有るから。感謝は人の原動力に成る、それだけは声を大にして云える。
「ガストンさんは、俺の口から哀しいとかそういう言葉が聞きたいの? 哀しさって、寂しさに含まれてるよね、個人差有るとは思うけど。それに“誰かを殺したら負の連鎖が発生する、だから殺しちゃ駄目”とかもよく聞くね。あれさあ、否定もしないけど肯定もしない」
「いや、何かを云わせるつもりは無い、君を責めるつもりは無い、ナナシ――」
「あのまま卵を壊そうとしたら、ダグザに見放された俺が死んでたワケだ。他の皆が死んだら、哀しむ人が居るのは知ってる。けどさ、俺が死んでも哀しむ人は居るよね」
「それ……は」
「居るって云えよ!」
酷い胸苦しさに声が詰まり、足許がぐにゃりと歪んだ。君の怒号だけを頼りに、思考を巡らせる。
ああ、そうだ……それが答えだ。
私が求めていた、形容し難い矛盾の形……
角を曲がった先、妙な数の悪魔に取り囲まれた。
指示の声が響く、そいつ等はガントレットで召喚された悪魔……サムライが故意に放った者達。
単身の私などシバブーを使わずとも、容易く封じられた事だろう。
救難信号は私を呼び込む為の大嘘だと、背後から声がした。
何処からともなく、更に数名が姿を現した。サムライ制服と顔を晒す事も厭わぬ彼等……私を完全に舐めている証だ。
そんな彼等の「お高く留まっている」等という、よく分からない言葉がこの鼓膜を打つ。
刀の柄を腹に当てられようが、唾を吐き付けられようが、近い事はこれまでも幾度か有った為、無心で居られた。
ただ、たった一言で私の中の何かが切れた。
――お前の兄貴、こんな具合でおびき出したフリン達を、あわよくば殺すつもりだったらしいぜ。
私は私刑に遭っただけで、殺される事は無かった。
いっそ殺してくれ、と願った気もする。
私は半狂乱の如く喚き散らし、周囲の嘲弄を買った。突き落とされ続けた、暗い奈落に――……
くそッ……
クソクソクソクソクソォォオッ!!!!
「ガストンさん」
その声にハッとして上体を起こしたが、激しい衝撃に再び身を寝かせる。ズキズキと痛む脳天に目を瞑り呻いていると、呼び声は笑い声へと変わった。
「本当よくぶつけるね、やっぱソファの方が良かったか」
「……君の部屋か」
「そう、二段ベッド下段」
「迷惑をかけた、すまん……」
「俺の声にフリンが飛んで来たから、そのまま運ばせた」
更に情けなくなる、これはフリンと暫く目を合わせられない。とは云え、向こうは私の事など景色の一部としか認識していないだろうが。
「急に倒れて、しかも魘されてたし寝言酷いし」
「……少し、聴いてくれないか」
「お、不可抗力とかすまんの一言で終わらせると思ったら、珍しい」
狭いベッドに寝そべったまま、私は恥を晒そうとした。君にとって何の価値も無い話だが、今はそうさせて欲しかった。
「昔の夢を見ていた。サムライに成ったばかりの頃の、胸糞悪い出来事だ」
「あー生意気だからイジメられたんだ、知ってる」
「……これを話すのは止めだ」
「ごめん、笑わないからゲロっていいよ。そういうのは、生意気だからってちょっかい出す方がなってねぇもん」
「いや、本当に良いのだ。もう終わった事……記憶でしかない。ただ、それを思い出した事で先刻の君の気持が……少しは理解出来たと、それが云いたかった」
感謝されたくて、私はあの時ナラクへと潜った。感謝の先に、自分の居場所を見据えていた。大切な物を守る為に戦うのではなく、己の場所を作る為に戦おうとしていた。ただ、感謝とは生物が行う表現だ。それに裏切られるくらいなら、成果だけが返事をくれる《功績》に縋る他無い。
頂点、つまりナンバーワンという場所は、揺さぶられる恐怖の無い堅牢な砦。しかし其処に囚われ過ぎると、外の空気が吸えず他者の声も聴こえなくなり、日々地盤を固める為に生きる亡霊と化す。それは、生きていると云えたのだろうか。形が違うだけで、私も兄上と同じ様なもの……死人だったのだ。
「他人を理解出来たとか、よく平気で云えるね。デリカシー無い、ガストンさん」
「君が私達を殺した理由だが、自分以上に大切な存在があの場に居なかったから……そうだろう?」
「自分より大事なものがあるなんて、そういう人は滅多に居ないんじゃないの」
口にはしないが、君を育てたというマスターはその類だった筈、娘を庇い死んだのだから。その被害を種にして、当時の私はアサヒを詰った。許せなかったのだ、そんな無償の心に守られた弱い存在が、妬ましかったのだ。
だがそんな彼女も、君を庇い絶命した。結論は出ている、愛された者しか他を愛せない。此処まできて、ようやく痛感した。
「やはりあの時の君を責める事は出来ん。ただ我々も己が大事で戦った、きっとそれだけの事だ。裏切りだとか信用だとか、そんな感情で解決出来る状態では無い。烏合の衆なりに依存し合っていたのだろうよ、我々は……」
宇宙の卵の中で、私達はナナシに選択を強いた。選ばせてなどいなかった、彼の事情を知りながら全の為に死ねと云っていた。助かる方法はきっと見付かる等と、気休めで塗り固めた言葉で……その小さい背中を、崖の上から押していた。此処にお前の居場所は無いのだと、奈落に突き落とそうとしていた。
その時に考えれば良いと、いつか云った台詞が蘇る。君こそ私を恨んでいるのではないか、無責任な木偶の坊と。
「寝てる間ヒマでしょ、写真見る?」
「おい、遺体写真で安らぐと思っているのか」
「それ以外もたまに撮ってるって」
ベッド端から腰掛ける位置をぐいぐいと深め、腕から外したスマホを私に寄越すナナシ。どうしたものかと迷ったが、画面が見えた瞬間、奪う様な勢いで掴み上げてしまった。其処には懐かしき風景……ミカド国が広がっていた。
「君、これをいつ」
「密偵した時、珍しく撮りたいとか思ったもんで」
「……ハハ、君にもこの美しさが理解出来たか!」
「空が青いのキモくてビビったし、本当に絵具の青。あの空と繋がってる空気吸って平気なの? 中毒とか起こさない?」
「私はむしろ東京の空気で吐きそうだ」
石畳の上を、大きな車輪の馬車が往く。並ぶ屋敷の窓には、豪奢な織柄のカーテン。庭師によって整えられた樹々や花壇の色彩、住民の合間を縫うようにして時折見える、修道服の純白……
身分制度が撤廃されたとはいえ、景観は何も変わらず。私が寄宿舎に入る前のままだった。刺さる視線が疎ましく、幼い頃は路地裏ばかりを選び歩いた事を思い出す。
「ガストンさんの噂も聴いた」
「フン、ロクな云われ方ではなかったろう、教えてくれずとも結構だ」
「あいつは苦労人だ~って云ってた人も居たけど?」
「この段で聴きたく無かった」
「あっはっ、今更そりゃそうだ……もう俺の専属パートナーだからねえ、ガストンさんは。だから例えば、俺がミカド国を滅ぼそうって云ったら従うしか無いの、解かってる? それが重大な意味を持たなくても、俺の気分だったとしても、破壊し続けなきゃいけないの」
怒りや哀しみも感じさせない口調で、君が唱えた。その刹那的とも云える言葉に対し、私も怒りや哀しみは抱かなかった。
私は脳裏で、君が遺体写真を撮り集めている理由を打ち明けた、あの瞬間を思い出していた。
周囲からは白い目で見られるであろうその告白を呑み込めば、私が君にとって何らかの意味を持つ。そんな事を当時、萎れた頭で察していた。狡いだろう、卑しいだろう。それとも居場所さえ与えられるのなら、私はハナから人の世の善悪など……どうでも良かったのか?
「形はどうあれ、ナナシは私を選んでくれた。だからこの生は君に預ける、命じられたならば何であろうと破壊する、それだけだ」
「……あ、そ、ありがと」
しんと静まり返る室内。私は何か重大なミスをしでかしたかと思い、ゆっくりと君の顔を覗き見た。すると珍しく顔を反らされ、どういう表情だったのか確認もさせて貰えなかった。
「ガストンさんを女神に選んだ理由、今思い出した」
唐突にぽつりと呟いた君は、夢の記憶を辿る様な口調だ。
「安心し給え、どんな下らん理由でも許してやろう」
「くたばる直前めっちゃクソクソ云ってたでしょ、一生分くらい」
「実際その後死んだ、打ち止めだ」
「あんなに全身全霊で悔しがってたの、ガストンさんだけだった。さぞかし俺を恨むだろうと思ったけど、悪意とかは感じなかった。あんたが最期に云ってた……本当に欲しかった感謝って、なんだろうと思って」
答えてしまって大丈夫だろうか、疑問が解けた瞬間に今の役目を解任されやしないだろうか。
「知りたいか」
「へえ、説明出来ちゃうもんなの?」
己に素直であれと、生前志した割には不安が付き纏う。だが、応えぬ事も突き放されそうで恐ろしい。適当な嘘などすぐにばれてしまうだろうし、そもそも私は嘘が吐けない。
「難しいものではない、先刻のようなやつだ」
「さっきって、いつ」
「だから……生を預けると私が云った後の、君の感謝の言葉だ」
「はぁ? あんなので良かった? トキやハレルヤにも似た様なニュアンスで感謝された事あったよね、それは満足出来なかった?」
彼等の名が出てくる度、遠い日の事の様に感じる。故人達の名を口にすれば、君の傷を抉りそうで憚られていた。だがそう思うのは私だけなのか……君は随分あっさりと、かつての仲間の名を語る。
今にもナナシが壁を蹴飛ばし「おーいアサヒ、ちょっと来い」などと、お決まりの合図を繰り出しそうで。数秒後、女性にしては粗雑な開閉で彼女が乱入してくる。私は相手をしたくないので「君達は元気だな」と、素っ気無い態度を猛アピールするのだ。「リーダーが行くならオレも」とハレルヤが徐に席を立ち、ガキ三人でフラフラ――……
と、そこまで妄想して止めた。ああ、そうか……私はナナシの傷の心配以上に、自らの痛みを恐れていたのだ。
女神候補は他にも居る。君の好奇心が、今の私の陳腐な回答で消失したのではないか……私を選んだ理由も同時に消えたのではないか。私に興味を失った今、他の魂に手を出すのではないかと、気が気でない。
「おい、私を選んで損したか」
意図せず声音が重くなる。私の焦りが判ったか、ようやくナナシが此方を見る。その耳のピアスが逆光で輝いた、滴る血の様に。
「……そんな事は無いけど」
「けど? けど何だ!?」
「そんな事は無い!」
誓いの証の様に、ナナシが掌を立てた。其処へ私は、握り拳をずしりと叩き込む。
「私を女神にした事、きっと後悔はさせない。君に従い戦う、私自身も後悔は無い」
ビシッと決めたつもりが、此方だけ横のままで不誠実に見えたかもしれない。
なかなか反応の無い君に私は浮き足立ち、軽く掌をノックした。すると君の口許に、ほんのりとえくぼの影が出来た。
「やっぱ兄弟って似るもんなの?」
「な、なにぃっ!? 先の発言の何処に兄上の要素が、おいっ君」
問い詰めようとした途端、腰を上げひらりと遠退くナナシ。屈託なく笑っている……良かった、どうやら呆れとは別物らしい。
思えば君は、兄上に悪態をつきながらも下卑たものは感じさせなかった。祖国では大罪人に等しい兄上、そんな彼を普通に扱うその姿勢に……私は何処か安堵していたのかもしれない。私も同時に許されているのだと。
いや、きっとこれも私の都合の良い思い込みだ。君は恐らく、兄上が人間で無いからこそ付き合い易かっただけ。そして今の私も人間とは云えない、だからこそ近く感じるのだろう。
「あっちも乾いたかどうか見てくる」
「何が乾いたのだ?」
「洗濯物」
「あっち“も”と云っただろう、今」
「ガストンさんは大人しく寝てな、起きたらめっちゃ働いて貰うんだからさ。また馬鹿みたいに槍ぶん回して、偉そうについて来いよ」
云うだけ云って部屋を抜けるナナシ、重複する足音が小さくなってゆく。恐らくフリンも追従している、ただの洗濯物の確認に……大袈裟な。
「フン、偉そうなのは君もだろう、あのフリンを顎で使って……」
ひとりぼやきながら私は預けられたままのスマホを思い出し、ふと暗くなった画面を見つめた。薄く映り込む己の顔に違和感を覚え、頬を撫ぞる。
これは……不味い、間違い無く涙の痕だ。
夢見が悪くて泣いたなど、許されん……精神惰弱、頼りないと虚仮にされる。今後共に戦うフリンなんか、涙ひとつも流しそうに無いではないか。これでは彼と比較されてしまう、私の女神としてのナンバーワンが危うい。
連鎖的に湧き上がる嫌な予感に、私の指先が画面を滑る。直感操作だけで最新データに辿り着いてやった、誰がアナログ頭だ。
「……っ、クソぉ!」
案の定、枕を涙で濡らす私の寝顔が、どアップで撮られていた。六枚中四枚がブレブレのピンボケ、絶対これは笑いながらの撮影だ。
ナナシが戻って来る前に狸寝入りを決め込もうと、私は即行で寝返りをうつ。
ミカド国の青空を瞼の裏に描き、ゆっくりと眼を瞑った……いつかはあそこも亡国となるのだろう、東京からも人が消えるのだろう。
それでも、君には私が居て、私には君が居る。迫り来る障害を礎とした新たな宇宙が、私達の居場所となる。
もう君も私も、奈落に突き落とされる事は無い。そう思えば不思議と心があたたかくなり、穏やかな睡魔が意識を浸し始めた。
-了-
【重きを置いた点】前作を読んでいないと、ピンと来ない描写ばかりになってしまった。サポートメンバーの中で「居場所が無い」と、一時期でも明言していたのはナバールとガストンくらいかな、と記憶している。(前者は居場所が無いというよりは、認識さえされない状態でしたが)宇宙の卵を壊すか否かの、あの場面。ナバール・ガストン兄弟は、ナナシの選択にショックは受けども半分くらいは察していたのではないか。文章中のナバールは「絆寄り対応→皆殺し」の前提で書いたので、アイテム全捨てをさせた(-ω-)/ポイポイ善悪倫理を跳ね除けるくらいの「居場所」を意識して書いた。前作の「モンタージュ」は、沢山の遺体写真からの群像をイメージして。今作のサボタージュは「破壊」の方の意味(ニュアンス)を強く、新しい宇宙の聖者(生者)とかけて。【作中キャラ感】ガストン→重くなりすぎた、心理描写がしつこすぎたか? 女神としてふっきれて、次からはもう少し軽くあれ(フラグ)吐いたり泣いたりあわただしい。女神に睡魔は有るのか? 戦っている格好良いシーンも、いつか書きたい。死体を「遺体」と云う。ナナシ→生意気だけど、率直な部分は一応有るイメージ。無口主人公だから自由に書けるとはいえ、喋り方のクセが強い。平然と危うい事をやらかしているタイプ。いつまでもガストンに“さん”をつけて呼ぶ、意地悪。死体を「死体」と云う。フリン→出番は少ないが、言動を考えるのが愉しい。あくまでもナナシの傀儡であり、結果が同じなら工程は何でも良いという思考をしている。恭しい口調や詫びも、傀儡ルーチンから呼び出された言葉でしかない。本来のフリンは“ほぼ”残っていないイメージ。【つづきはあるのか】とりとめも無く書き殴ったが、それでも今回入れなかったネタが有るので、気が向けば。ナナガスかもしれないし、ガスナナかもしれない。ガストンはナナシの為に女神として張り切るが、やはり空回りしそう。ナナシは遊び相手も居ないので、ガストンで遊びそう。
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