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湿血帯不快指数

湿血帯のお知らせ、管理人の雑記など、じめじめ

サイトの終わりに向けた性念場


長編(特に二章)なんか、はたして読んでいる人がどれほど居るのかなあ……と。ここ数年は更新してもほぼ無風なので、毎度思っていました。
執筆中は轟々と意識が逆巻いていても、公開後にはいつも鎮心します。言ってしまえば、長編よりも「独立した設定のCP短編(pixiv)」または「万人向け短編集(同人誌)」を出した方が、はるかに反応も感想も多く頂けるからです。何を発表してもいっそ無反応である方が、この落差に歯痒い思いをせずに済むであろうと想像します。しかしひとつの反応も無ければ、飽きるのもまた早そうです。
この静けさに関しては、個人サイトの宿命かといえばそうでもなく、メッセージが来るのは圧倒的にpixiv<自家サイトです。昨今はSNS介してマシュマロでも来ます。pixivは場が広く閲覧数だけは入りますが、言葉まで貰える機会は滅多に無いという体感です。アカウント(嗜好)ごと明かす事になる為でしょうか、そう考えれば分からない事も無いです。

なにやら愚痴めいてしまい、大変申し訳ございません。
私自身〝続きが気になる連載〟をしていたサイトに、更新停滞してから10年以上通い続けました。諦めきれず、作者のハンドルネームで捜したり、動きが無いか定期的に確認を続け、BBSにも書きこみ続けたのですが、やはり何も動きは見られません。とうとう2年前スマホに変えてしまったので、アクセスもしなくなってしまいました。レンタルサーバのサービスが続く限り、あのサイトも残っている事でしょう、もう管理人も編集できない環境かもしれないのに……
さほど入れ込んだジャンルでも無いのに、そのサイトの事だけはいつまでも自分の中に燻っていて、話の続きを勝手に妄想しています。
私はこのサイトを始めてから、現在ジャンル二次創作を見る(読む)為の検索を、殆どしなくなりました。他人様の作品を見過ぎると、どんなに細かい部分であろうと〝近い〟と勝手に感じた時点で書けなくなるからです。それではいつまで経っても何も書けない為、他人様の二次創作を能動的に鑑賞する事を、極力控えています。
一応〝自分の中で完全に世界を割り切れた作品〟に対しては冷静で居られます。もしくは作者を知る事で〝近くなる部分(要素)への納得〟を可能とし、俯瞰の度合いを上げればこれもまた冷静で居られます。

何故ここ数年、壁打ちの様な事を続けていられるのか。
私の中で、あのサイトが楔の様に繋ぎ止めてくるのだと思います。続きを待ち望んだ自分の影が、最後まで書けと云う。二次創作はただの趣味、義務ではない、しかし、もはや半分以上は自分との闘い。
12年前、愉しむ側から書く側になりました。サイトを作り、様々な調べものをしたり、交流が出来たりもしましたが……世界が広くなったのかというと、正直分かりません。ある意味、孤独な方が続く気はします。物理的孤独というより、意識的孤独。
私は女神転生の二次創作を書いてはいるものの、神話には大変疎く、しかも頭に残しておけない。小説の書き方も、これまで幾度も呆れられてきました。実際活字が苦手で、なかなか文章を読めません。

とはいえ、趣味でやれる、やりたい範疇というものが有る。ソレと己の意地を照らし合わせば
「この狭量・狭窄を許してくれた上で、作品をそこそこ愉しんでくれる人。その人達だけを相手にする前提で、執筆を続けるべきである」
このような結論に達します。
最後までやり抜く為に、適度な孤独と妥協を。自分の脳には限界が有る、だからこそ〝可能な範囲〟で余力を配分しなければ、先に枯渇してしまうと、最近感じます。

インプットを続けていても、アウトプットしなければ反映されない、しかしインプットとアウトプットを同時には出来ない。
サイトを始めた頃はひたすらアウトプットしていましたが、書こうとするものが深部に来て、終わりに近付けばこそインプットも必要になってきて。これに私の「気まぐれ」な気質が絡んでくるので、非常に厄介です。
読者がいつまでも居る筈も無く、自分の余生も幾らあるか分からない。2年前に内臓を悪くしてから、そういう意味での時間配分を考える様になりました。脳をやって死にかけたのに、生き延びたせいで却って万能感でも出たか、いつまでも時間が有る様に感じていたのでしょう(執筆においては、この己の幼稚さに救われた面も有りますが)

メインの話である長編を完成させる為には、もっと孤独になるべきだと解かっているのに、容易くは無い。
表題の通り、この13年目あたりが節目かもしれません。

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