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湿血帯不快指数

湿血帯のお知らせ、管理人の雑記など、じめじめ

脳と鳥の話
タイトル通り。二次創作はほぼ関係無い、覚え書き日記。

「有機物が無機物に見える」認識障害といえば「火の鳥(復活編)」を浮かべる人が多いだろう、世代が違えばオマージュである「沙耶の唄」が出て来る人も居るだろう。

自分が長年抱いている感覚が、やはりこれに近いので、以下に記す。
先述した作品ほど具体的ではないが、どうしても無機物に見える生体がある、だ。
あの曲線的なライン、種類によっては明確なツートーン。かなりデフォルメされた造形生物であるとは、子供の頃から認識していた。それを「つくりもの(無機物)」っぽいとは思えど、デザインに対する印象に留まっていた。

▼以下、凄く長い。興味のある人は「つづきを読む」からどうぞ。


しかし現在では、はっきりと無機物に感じる。翼を納めた状態、水面に浮かぶ状態、空を滑空する状態、群れで居る状態、どれもそういう造形のつくりものに見える(哺乳類よりも個体差が少なく見える)
例を挙げる。過去のドライブ中、鴨が湖にたむろしていた、結構な規模だ。それを見た時、おかしくて大爆笑してしまった。何がそんなに可笑しいのか問われたので「あんな、いかにも無機物の玩具がぷかぷか浮いてるのに、どうして道端の人間は平然としてるんだろう」と説明したが、理解されなかった。そこでようやく鳥が生体に見えない事を自覚した。元々そこまで動物に興味を持たない人間だった為、こういう事でも発生しなければ自覚も抱けなかったらしい。

とはいえ、火の鳥のレオナが如く、対象のヴィジュアルから置き換わってしまう訳では無い。鳥は鳥の形のままだ。しかし小さい頃とは明らかに体感が違う。目の前で動いていても、食事や排泄をしていようと、見ている限りでは生き物と感じ取れない。そういう不気味さだけが、真っ先に頭に刺さる。機械仕掛けかもしれないし、温めた剥製かもしれないし、とにかく動く無機物という感覚が払拭できない。
以前、山のリフトに乗った際、鳥のさえずりに対して「何処にもスピーカーが見当たらない」と家人に訴えたら「録音じゃないよ、本物だよ!」と驚かれてしまった。これが何かしらの施設(または屋外)であれば、環境音として在ったかもしれないが…自分は本物のさえずりを聴いてなお「つくりもの」と判断するようになってしまったらしい。これも先述の感覚が助長させた、弊害に思える。



さて本題である、これはの錯覚ではないか?という話だ。
順序としては〈精神→脳〉ではなく〈脳→精神(感覚)〉の類。

これまで幾度か発信しているが、大事な事なので書く。自分は以前、脳内出血をしている。
12歳の頃に脳内出血。搬送されて2ヵ月入院、開頭手術にて破裂した奇形部分を摘出。先天性の「脳動静脈奇形」という病気だ(脳CTなど無縁だった為、倒れるまで未発見だった)

すでに「脳を手術する以前」よりも長い年月を経た訳だが、最近ようやくこの〝完治したとされる〟病気が気になりだしたので、色々調べていた。
私はこれまで出来る限り「病気のせい」にしないで生きてきた。甘える事が下手だったし、自分の思い違いかもしれない、恥はかきたくない。そういう思いも有り、復学してから落ちた能力に関し、嘆く事は避けていた。破裂時点で3割が死ぬ病気らしいので、自分は運が良かった、後遺症も無い、それで十分なのだ。
と思っていたのだが、調べるほどに「もしかして、後遺症がそれなりに有るのではないか」と、考えが揺らぎ始めた。

▼病後、明らかに変わった点を列挙する。

  1. 地図が読めなくなった(近所で迷う)
  2. 寒さに極端に弱くなった
  3. 鳥が無機物に感じる
  4. 痛覚の有る夢を見るようになった

1.地図が読めない

子供の頃は簡易地図でも迷わなかったし、公共機関のダイヤも苦手意識は無かった。今ではGoogleストリートビューで予習しても怪しいし、ダイヤは頭に入ってこない。普通に行けば30分の目的にに、3時間以上かかって辿り着いた。
これはどうやら後頭葉を患った事による「地誌的障害」というものが近そうだ。ちなみに「同名四分盲」という視野欠損の後遺症が残ったことは、精密検査で既に判明している。
随伴する障害として「相貌失認」が挙げられていた、これは主治医からも〝なるかもしれない〟と云われていたので覚えている、やはり同じ感覚を司る脳の部分らしい。

2.寒いと痛い

手術の為、頭蓋骨を切除し、再び蓋をしてある。その接合部に近い右耳後ろ、触ると非常に痛い箇所がある。この痛みというのが説明しづらく、部位名称にも疎いため長年謎だった。どうやらここは三叉神経節という神経が通っているらしく〝脳動静脈奇形〟の関与は0.5%ほど有るそうだ。ドンピシャではないだろうか、しかし分かった所で対処しようも無い。奇形が破裂した為なのか、脳にメスを入れた為なのか、いつ頃発生したかは定かでない。(手術で治せるらしいが、地味なストレスの為だけに再び頭に孔を開けたくない)
気温が冷えて来ると、まず耳が痛くなる。そしてそれが血管や神経を刺激するに至り、頭を万力で締められた様な、電流流される様な痛みになる。寒がりだなあとよく云われるが、これが原因だとすれば後天的な障害であったわけだ。

3.鳥は無機物

これが一番言語化しづらかったものの、冒頭で述べた形が感覚としては一番近い。「火の鳥」も「沙耶の唄」も有名だからこそ、例として挙げにくいところがあった。
同じ様な人が居ないか定期的探してきたが、今の所発見出来ず。脳を弄った前後での「感覚差」を自覚する機会があるか、術後の経過観察をどれだけするのか、色々事情は有ると思う。
レオナの人工脳は人間(有機物)を無機物に置き換えていた、つまり「人間」の識別はしていた事になる、それを置き換えたヴィジョンがアレなのだ。
自分もかつては「鳥」の識別をしたうえで、鳥という生体情報と繋げていたが。現在はそれが捻じれているのではないかと推測する。「鳥」の識別はするしヴィジョンも変わらないが、生体として認識しづらい。という具合だ(しかし直面すればそれが〝錯覚〟という自覚は持てるため、脳が補完している可能性は有る。)
〝視覚から生体認識出来ない〟類の病気があるか調べた。やや近いと感じるものに「離人症・現実消失症」の〝見ているものに生命感を感じられなくなる〟という知覚変容があった。これら病状は心の病気という事で、そちらからの治療アプローチが殆どだったそうだが、最近は根源(脳)の研究が進んでいるようだ。結局は脳がすべて司る、人間はそれを現実と認識しているわけだ。

4.夢の中でも痛い

痛覚の有る夢を当然のように見ていた、しかし振り返ってみるとこれも、病気以前は無かったと最近気付いた。痛みが神経痛の類だ、あのビリッと、まるで鞭にでも打たれた様な瞬間的な。それも相俟って、やはり脳のせいかと疑う。夢の視覚情報としっかりリンクしており、身体に害を及ぼされれば痛みが走る。それなので夢も緊張感が抜けないし、明晰夢が多い。ただし「夢の中の痛みには限度がある」事も把握したので、切断されようが結構平気である、夢の中なら。



自分で目を背けてきた事もあり、今回は新しい発見が多かった。
中学時代は妙に気持ちが冷たかったのだが、術後数年間処方されたてんかん防止薬(デパケン)の副作用があったのではないかとか。
結局、周囲から「病気のせいにするな」「思い違いではないのか」と、少しでも詰られる事が嫌で、この辺りを積極的に触れず来たのだが、調べるほどに「もう少し気を楽に持てば良かったのかもしれない」とも思える。

当時、手術から2週間経たないうちに復学して、持久走を無理に走ったが途中で立てなくなってしまった(目の届く校内グラウンド、教師と話し合いその監督下で行った)迷惑はかけたくないので無理はしないつもりだったが、想像の数倍早く無理が来て驚愕した。本来、長距離走は嫌いなのだが、どうしても試したかった、あれは焦燥感だろう。
ICUから出て個室に移った時、筋力が落ち物が持てなくなっていた、あの恐怖だ、あっという間に動けなくなる恐怖。復学する頃には筆記可能(ペンが持てる程度)になっていたので回復も早かったのだが、それも若さあっての事、今なら分かる。
頭蓋骨を横断する傷はまだ赤黒かったので、頭に布を巻いて登校していた。クラスメイトは皆よくしてくれたが、後に同級生から「脳をいじったから、頭がおかしくなった可能性もある」と噂されていた事を教えてもらい、大笑いした。まあ実際に高次脳機能障害で性格が変わってしまうとか、狂暴化するという話も聞く。入学早々に入院し、戻って来たクラスメイトの事を、皆は警戒していたのだろう。むしろそうでありながら、此方が察する事も無い態度をとってくれたのだから、感心感謝である。
病気を境に全体的な能力は本当に落ちた、身長もストップした。中学時代にもろ被ったので、高校進学の為に勉強に打ち込もう、など思えなかった。しかしそれに関しても自罰的に出てしまい〝病気のせいにして進路を真面目に考えなかった〟愚かな行為と自認していた。

死の話

しかし、そもそもが拾った命である。倒れている所を発見されず朝を迎えていたら、死んでいた可能性もある。死と天秤にかければ、病気から目を逸らして生きていたこの〝比較的健常体〟は、明らかに重い(良くも悪くも)
自分は希死念慮ゼロな人間なのだが、それさえも思い込んでいた可能性が出てくる。大勢の手を借りて回復したのだから、死など考えてはいけないという強迫観念だ。

入院中、幼稚園時代から付き合いがある同級生の母親が、同じ病院に入院してきた。その友人母は励ましの手紙をくれた(看護師さん経由で届けられた)しかし、私はペンを持てなかったので返事をかけず、そのまま自分が先に退院した。
それから数か月後、友人母は退院する事なく亡くなってしまい、ご近所なので葬式に行った。友人も私も中学生だからセーラー服で、その日は雨で、大勢来ているから駐車場を使っていた(とても大きな屋敷なので、駐車場も十分な広さがある)
友人と一言二言かわして、焼香して帰った(香典は親が先に来て、済ませてた筈)何を話したか覚えていない、本当に挨拶程度だった気がする。私は勝手に恐怖していた、自分だけ病院から出てきて生きているので、怨まれてないかとかそういう事を。逆の立場であれば、怨むなんて角違いと分かる。しかし戻って来なかった故人がチラつくのではないか、あの陽気な友人母の事だから共に入院していた私の話も聴いたであろうとか、色々過ぎる。
私自身が母親というものにコンプレックスを抱いているので、こういった事は心が緊張する。そして〝生き延びたのだから、無為にしてはいけない、そういう姿を見せてはいけない、死にたいなどとは絶対思ってはならない〟という、これまた勝手な贖罪をしていた訳だ。

孤独なのか

自分は孤独と思った事は無い(つもり)、一人がたまらなく好きだ。気が向けば発信できるツールも有るし、便利な時代の恩恵も受けている。とはいえ顧みれば「感覚の理解がされない」「自分でも説明出来ない」というのは結果、抑圧に繋がるのではないかと、やんわり思った。
何を節目に変容したか、自分が病気以前の自分と違うのか、この錯覚は本当なのか(矛盾)など、突き詰めればキリが無い。それでも、やはり病気が自分に何を残したか、は知っておいた方が良い。弱点も暫くすれば〝当たり前〟になり、自覚が失せてしまうので。
そもそも、色々調べ始めたきっかけは、この治った筈の病気に「全摘出したが再発した」「遺伝性が無いとされてきたが、どうやら有る」という事例が浮上してきたからだ。10万人に1人と云われているが、恐らく研究もまだまだなのだろう。実際、自分の様に「同じ病気をして、同じ後遺症を持つ者を探している」人間が彷徨っているくらいだ。そろそろ脳の検査を受けなければと思っているのだが、総合病院は入院以来なので、色々と億劫に感じる(出不精気質)



非常に長くなった。
今回覚え書きとして残そうと思ったのは、言語化に〝多少〟成功したから。いつもお世話になっているC氏が、うまく相槌をくれたので正直に話せた。

あの鳥の群への違和感。喩えると〝公共機関の席にずらりとマネキンが座っているのに、誰も彼もが人間として扱っている光景〟「作り物でしょ、どうして誰も突っ込まないの!?!?」と叫びだしたくなる感覚。何故それが生体扱いなのかという、認識ズレがぞわぞわする。あの不気味さよ。
※ちなみに、鳥のヴィジュアル自体は割と好き、そういう不気味さは只の味。有機無機関係無い判断。

なかなか理解されないが、書き残す意味は有ると思った。自分の書く小説にも、多少の影響が出ている気はする。動物に対し余所余所しく、贋物を軸とする辺りだ。悪魔は動物の姿をしていても動物(生体)ではないので、割り切って想像できる。文字・映像情報のインプットで、なんとかなる範囲のものを書いている、感覚には頼れない。
(哺乳類も〝個体差に乏しい〟と認識していたら、鳥と同様の認識障害に陥っていたかもしれない。辛うじて大丈夫と思うが、今後どうなるかは分からない。)

「火の鳥」は、小さい頃に親の本棚で読んだ。病気以来、まだ読み返していないので、今読んだらどうなのだろう。


-終わり-

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