《pixiv》生死滲出
ようやく手直し出来ました。辻褄合わせやエロシーンの関係で、かなり後回しにしてきた過去作です。この数年で登場した里モブも、名前程度は登場しています(分からずとも話に問題無し)
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし
引用したのは三橋鷹女の句。作中では秋を背景に云わせたが、季語は鞦韆で〈春〉という。
どの様な解釈かというと、鞦韆も愛も、能動的にならねば動かぬといったところ。
鞦韆(しゅうせん)はそれぞれ一文字ずつ「鞦」「韆」でも、ブランコの意味を持つ。本来は中国の宮女が遊ぶ遊具名。性具も兼ねていたと言われており、漕ぐ宮女の脚が見え易い為、そこから夜伽に呼ばれる流れ。
日本でブランコと呼ばれ始めたのは江戸時代から。大正7年にも「鞦韆に抱き乗せて沓に接吻す」という句を高浜虚子が詠んでおり、敢えて「鞦韆」と書く場合は、性的ニュアンスを含ませる意図もある様子(すべてでは無い)
俳句では無いが、谷山浩子の「夜のブランコ」も情感溢れる背徳の歌なので、良ければ歌詞だけでも見て欲しい。機会が有れば聴いて欲しい、曲調が夜中の空気。
リンのそれは愛情なのか?
〝自分の事を憶えていて欲しい〟という欲求は、愛の様な気がする。
これはリンが時折「昔の主人(サマナー)」を思い出している事からも窺える。なんとなく、ずっと憶えている、主人の一喜一憂を。主人が逝去しても里を出ないのは、思い出から離れ難いのではないか。機関を憎悪する根源はリンのかつての主人であり、リンは夜の中に同じ憎悪を見出し、その火を育てた。程度の重さは違うかもしれないが、リンは勝手に想いを呪いへ変換し、それを夜に継承したのだ。
この「かつての主人」は当時から浮かんでいるが、詳しく書く予定は無い。キリが無い、広げようと思えば恐らくどこまでも書ける。モブとして出してきた里の面々、御上たち、谷の候補生時代だとか、蝦蟇や狸(リー)の家系、霊酒つくよみの酒蔵を造った過程、風間刑事の部下二名(擬態彦兄弟)、帳の下里や旅行先の人々……
執筆しながらプロット立て「勢い任せ」で書くこと9割だが、サブキャラや捏造モブキャラはたった一度の登場だろうと「性質」を一番に考える。外見情報は最後に決まる。脳内に一先ず貯えておけば多いほど勝手に繋がっていく為、逆に動かし易くなっていく。
簡単な相関図は『耽読魔酔』に載せたが、サブモブまで載せた場合はスペース足らずになると思う。縁や因果や念の多い程、魂に重量が出てくる気がする。しかし天外孤独には天外孤独の世界が有るから、存在する限りは相対も確実に在るとイメージする。世界を狭く極小に捉え、重量の水準を替える。
自分の書く「ヤタガラスの里」は「葛葉の里」を取り込み形成された為、葛葉一門に対しそれこそ〝使役する〟かの様な扱いをする。あそこに飼われるサマナー達は、管の様なもの。多く有れば良し、中身が強ければ良し、吸い込みも吐き出しも出来なくなった管は捨てるが宜しい。そんな管たちの狭い世界だ。
夜は何故怯えたのか?
自分から要求しておきながら、接吻ひとつで怯え震えた。これは焦燥からリンと深い契約を結ぼうと試みたものの、性行為への嫌悪、そしてリンに対する近親感が拒絶反応となって出た。
予測出来なかった訳では無く、逆にリンから激しく拒絶されれば縁が切れるかもしれない。それでも訴えたのは「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」に従った為だろう。襲名すれば疎遠となり、リンも次世代の指導にあてがわれる。自分が望めど連れて行けないのなら、物理的影響を互いに強くする契約を、里に構わず勝手に結んでしまえという事だった。
しかし万が一、ここでリンが快諾どころか〝これ幸い〟と肉欲をぶつけた場合も、夜は壊れていたのではないか(それだけは無い筈と思い、縋った為)
近親相姦に関しては「フフッ……だって僕、家族居ないもの。解からぬよ、そんなモノ」とSS『四十八願顔掛け』で述べた夜だが、別のSS『核語りき』では御上のタム・リン(夜のタム・リンとは別個体)に犯され気が動転している。
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