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湿血帯不快指数

湿血帯のお知らせ、管理人の雑記など、じめじめ

SS「雪の果てまで」一時掲載
未掲載状態の拍手御礼SS、第三弾。
どうやら〝初雪〟というリクエストで書いたらしいです。
夜がタム・リンから贈り物をもらう話。
これは比較的新しい作品ですから、覚えの有る方もいらっしゃると思います。


雪の果てまで



 窓の方角の関係で、僅かな朝日すら部屋には入らない。
 薄暗い中で、時折啼く火鉢に視線を流す。
 あの騎士が用意してくれたのだろう。それでも隙間風に塗り潰される様に、部屋は暖まらない。
「冷えると思ったら、その筈だわ」
 顔を洗ってから、独りごちて軒先に顔を出す。
 初雪に白く染められた景色の中、天に向かって槍を薙ぐタム・リンが僕を見た。
『あっ! 夜様!』
 途端、視界が覆われる。真白の後に来る暗闇。上から何かが降ってきたのだ。
『いやーすいませんね、突然ひょこっと顔を出されるものだから』
「っ、ぶほっ……お前っ、出入口の雪下ろしは注意せんとかんに、この愚図っ」
『目覚めの一発にはキツかったですねえ、すいません、はは』
 反省の色は最初から求めていないが、あまりに普段通りに笑うので腹立たしい。
 部屋に戻り、一気に湿った衣を脱ぎ捨て、下袴の上から更に袴を穿きこむ。厚手の足袋はフランネルなので、かじかんだ爪先が妙な痺れを生むことも無い。雪下駄に被せる爪皮を探して箪笥を漁れば『爪皮が有っても、お寒いでしょう』と、翡翠の篭手が僕の指先を阻み、黒革の手袋が箱を差し出してきた。
「何だ、それは」
『とっておきの履物を用意致しました、しっかりと寸法が合えば良いのですが』
 ペイズリーの敷物の上、促されるまま着座する。
 飾り気の無い和紙固めの箱は、履物入りにしてはやや大きい。開けた瞬間、妙な悪魔が中から飛び出してくるのでは無いかと警戒する。
『おや、如何されました? ミミックの類では御座いませぬよ?』
 技芸の属であるリンが、心を読んだとは思えない。
 鼻で笑いつつ、蓋を跳ね除けた。帝都新報がくしゃくしゃと敷き詰められた中に、靴が有った。
 革の艶がまだ新しい、一見普通の半長靴に見えるが……踵が目立つ。
「女物か?」
『いいえ、夜様の足にぴったりに用意した男物に御座いますよ』
「にしては踵が高い」
『御安心を、しっかりと全体の底が厚いでしょう? ハイ・ヒール程は爪先と踵の高低差が有りません』
「ふぅん」
 がさりと掻き分けた帝都新報の記事に目が行ったが、折角贈られた物なので今はブーツを手に取る。くるりと返し底面を見れば、確かに刻みが入っていて。下手すれば下駄よりも滑る事は無さそうだ。
 横に構えるリンは、僕とブーツを交互に見てはにっこりしていた。
 何やら溜息が出たが、期待の眼差しを浴びつつ足袋の爪先を挿入してやる。上部の編み上げをきっちりと結び上げると、今度は視界の端に脚絆がぶらりと泳いだ。それを無言で受け取り、ブーツ裾と袴裾の境目に巻き付け、留め具をぱちりと嵌めた。
『職人に作らせましたので、脚絆もお揃いの生地です』
「職人の知り合いなんか居たのか?」
『帝都にレプラホーンの旧友が居りましてねえ、まあ顔合わせるのはクルーラホーンの時ばかりですが』
 レプラホーンはアイルランドの妖精だ、夜中には酒呑み妖精クルーラホーンになってしまう。
「それにしたって一介の候補生に良いのか? こんな贔屓。お前の肩身まで面倒見きれんに、僕」
『今日は修練が丁度お休みでしょう? 雪道にはピッタリですよ』
 新品なのを良い事に、その場にすっくと立ってみた。少し持ち上がった視点に、まだ違和感を感じる。
『御似合いですよ! ささ、初雪の散歩と行きましょう』
 装身具を贈られたのは初めてで、それも自分から注文した訳でも無い。
 履きこんだ足先は寒さを感じず、薄らと艶を放つ黒革も、リンの手袋とどこか似ていた。
 玄関の戸を横に開き、そのまま降りて来いと促す騎士の眼。
 柱の飛び出た釘に引っ掻けてある襟巻に手を伸ばし、首を覆ってから歩き出す。
「フン、まあ悪い気はしんな、この革の締めぐあぃ――」
 云い切らぬ内に、何故か視界が暗転する。また下ろされた屋根の雪かと思ったが今度は違う、此処は屋内なのだから。
 は、と我に返って、冷たい床板を押して上体を持ち上げる。派手に転倒したのだと気付いた瞬間に、かあっと頭が熱くなった。
『はははは』
 指差して腹を抱えて笑う騎士に、堪らず怒鳴った。
「お前っ、僕に恥かかせる為にこんな靴にしたのか!」
『滅相も、いえいえ夜様、ははっ、いや失敬……あまりに見事な転けっぷりで、なかなか笑いが、はひ』
 ひとしきり爆笑したリンは、玄関の外にさくさくと向かい、振り返る。
『まずは慣れる事ですね、妙に力んではなりませんよ』
「この靴に慣れる利点が有るのか? 僕は花魁になるつもりは無い」
『おや夜様、ヒールは紀元前五世紀において男性間でも流行っておりましたよ?』
「それはアテネの話だに、此処は日本國だぞ」
『まぁまぁ、防護面でもブーツは適していると思いますし、何より履きこなせば素晴らしく見栄えが致します』
 ぎしつく床板に立ち上がり、埃を掃う。確かに、派手な転倒の割には革のお陰で打ち傷が無い。
 ゆっくり一歩踏み出せば、今度は接地の拍子が掴めた。土間に片足を下ろす際、慎重に爪先から……
『はいはい夜様、あんよが上手、あんよが上手』
 あの悪魔は人を怒らせる天才なのか?
 霜を湛えたムラサキシキブの枝の傍、手を叩いては腕を広げる騎士。
 いちいち反応するのも思うツボなのだと己に云い聞かせ、沸騰しそうな脳天を寒空の下に冷やさんと歩行を意識した。
 さく、さく
 下駄歯の様に雪に埋まって往かず、かと云って草鞋靴の様に嵩張ったり動きを妨げたりしない。ヒールに押し上げられ、自然と胸が張る。
 次第に歩みを速め、徐々に距離を取ろうとする騎士に向かって、ひと哂いしてやった。
「ははっ、もう慣れたわ! 覚悟しろスケコマシ!」
 ざくざくざくっ、と数歩で駆け抜け、その硬質な甲冑の胸板に飛び込む。
『うわっ』
 体当たりを避ける事無く、受け止めたリンと雪原に転がった。
『いちち……これはお早い、流石は夜様に御座います。いや~背中が冷たい』
「阿呆云うな、鎧だし悪魔だし冷たい訳無いに」
 キン、と冷たい甲冑の胸。勿論、心音はしない。悪魔特有のMAGの呼吸が、空気を僅かに振動させている。まだ誰も起きて来ない早朝の中、鋭敏に感じる。
「………馬鹿らし」
 まるで餓鬼の様にはしゃいでしまった。
 雪の冷たさにも等しい甲冑に頬擦りしたから、また目が醒めたのだ。
 むくりと起き上がって、ブーツで雪の上に改めて立つ。中は湿っておらず、のびやかに爪先が地を蹴れる。確かに戦闘地向きかもしれない。
『遠くの山々も、すっかり化粧済みですねえ。やはり一枚ベールを纏った方が美しい』
「それ、こないだリャナンシーにも云ってたろう」
『最近の彼女はちょっと厚化粧でしてねえ、乾燥の季節になってきたのですからあれはマズイですよ』
 手袋で掴むマントの端をばさりと煽いで、一瞬で雪掃いするリン。その微笑む口元は、酷く透明で。呼吸の度に白霧を吐く僕とは違う。
 寒くも無いくせに火鉢を用意して、雪に遊べば寒いとほざく。
「紅蓮属の世話になる季節は、好かん」
『おや、寒さには弱かったですか?』
「悪魔が被るんだわ、他の奴等と」
 普段は〝熱くて扱い難い〟と云って、使役を控えるくせに。
「僕は雪の中だろうが、フロストともチョウケシンとも遊べるわ、あのたわけ共」
『しかし夜様、やはり人の身なのですから。貴方様の意思とは関係無く、寒さには悴み、暑さには朦朧とするのです』
 知っている、人間は脆弱だ。葛葉の恩恵を受けようが、風邪をひく時はひくらしい。
『まだ夜様の身体は育ちますからねえ、また後程レプラホーンの所在をお教えしましょう。修理から加工まで一通りこなせますので』
「これ履くと、少しお前の背に近付くから気分良い」
 さくさくと雪道を、いつも稽古をつけてもらう竹林まで歩む。
『ま、私の背なんぞあっという間に追い抜いてしまうでしょうに』
「一度抜いても、お前がひとつ瞬きをした後には元通りだに」
 雪原の反射で、傍に揺れる銀糸が光る。
 僕を横目に見る瞳は、独特な虹彩で。僕は悪魔の眼が羨ましいと、よく思う。単純に綺麗で、感情が読めそうで読めない奥深さが魅力だ。
「人間は、じきに老いぼれる。僕は悪魔に介護される気は無い」
 腰の曲がった僕をリンに見られるのは、何か嫌だった。
 使役の力は、戦う為のものであって。リンがこうして傍に居るのも、指導という一環なのだ、と。
 同情を内包した世話は、屈辱だ。その点、リンは実に軽妙に僕を嗜める。
『では、夜様にはやはり葛葉に成って貰わねばなりませんね』
「どうして」
『葛葉は老いを遅延させるのですよ? お若い姿が長い程、無理の出来る期間も増えましょう?』
「……ククッ、なるほど。お前と馬鹿出来る時間が延びるのか」
『然様に御座います』
 踵が厚い靴はしっとりと足に馴染んで、何処までも歩いて往けそうだった。
「帝都に出たら、酒の肴にレプラホーンからお前の恥ずかしい昔話でもしてもらうわ」
『夜中に彼と逢うのは、どうか御勘弁を』
 ライドウに成って帝都に出た際は、ずっとこういう靴を履こう。
 
 来た路を、ちらりと振り返る。
 初雪の真新しい白に、二人分の軌跡が鮮明に残っている。
 人間と悪魔だが、それは等しく足跡だった。
 
 
-了-

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