"更新"カテゴリーの記事一覧
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《pixiv》霊酒つくよみ
《pixiv》晩夏の挽歌
『霊酒つくよみ』は前編にリンクしてあります。
かなり長いので面倒だな~と暫く見ない様にしていた『霊酒つくよみ』ですが、気力を振り絞って立て続けに手直し掲載しました。ついでに後日談『晩夏の挽歌』も掲載、これも数年空けてから書いたので、本編と連続して読んだ時に違和感が無いか不安でしたが、おそらく大丈夫……な筈。
霊酒つくよみ(2014年)
元々は拍手御礼SS『HOME SICK』からイメージを得た作品です。〝幼児化した人修羅が可愛いからもっと見たい〟とリクエスト頂き、それならもっとしっかり「幼児化の原因(発端)から解決」までを書こうと思った次第。振り回されるドタバタ劇に見えて、思わぬ角度から「どのように見えていたのか」をライドウが突きつけられる展開。
蛙蘇生のまじないは様々な文献で確認出来ますが、今回改めて探しました。『嬉遊笑覧・下』巻十二上〈禽蟲〉五六九頁にある「蛙の弔」が具体的です。国立国会図書館デジタルコレクションに収蔵されています。目次には「蛙の~」ではなく「虫の弔い」とある為、字が見当たらず最初迷った。そして〈禽蟲〉より手前に〈方術〉の項が有る為、最初そちらを探してしまった(該当ページでは「蛙の弔い」との段落名称なのに)以下、原文引用。蝦蟇を投て嬲り殺し地に少坎をほし車前草を襯て死たるかへるをその上におきまた車前草を覆ひ小兒その周(メグ)りに居てかへるとのお死にやつたおんばく殿の御とむらひと、聲々にいひて祝ふに須臾ありてかへる蘇る此こと古き事と見えたり
晩夏の挽歌(2017年)
あんなに煙たがっていたのに、きっちり見舞いに行っている夜。機関のサマナー同士揉めたとあらば、後処理に顔を出す必要は有ると思いますが……この話に書いた見舞いは、おそらく個人的なもの。矢代に吐露した通り〝襲名以前の自分を知る者〟が消えてゆく事は、ある種自身の喪失に等しいのでしょう。そこに関して憎悪はまた別(というよりも憎悪だろうが情が強ければ、簡単に感情と切り離せない、心の中を圧迫し続ける)
矢代は夜の昔話を「エグい」と判定しているが、同時にそれを聴かされる事に仄暗い歓びを感じている。蘊蓄なら相手を選ばなそうだが、傷の多い過去を話す相手は、流石に選んでいるだろう、と思っている為。PR -
《pixiv》蛍狩り
《pixiv》水妖日の正午さがり
水辺の話が続いております、しかしまだまだ水辺の話が有ります(雨の話もやたらと多い)
蛍狩り(2011年)
長編で幾度か登場させたヨシツネが、脳内で判官贔屓を強めていった結果。
〈帳〉の番外編でも、矢代との関りが多い。付き合いの長さもさることながら、やはりベースが義経の為「人間感覚の残留」がポイントじゃないでしょうか。妙にライドウ不在時に絡みがちですが〝美味しい思いはしたいけれど矢代を困らせるつもりは無い〟ので、メロドラマ一歩手前で終わります。そういう事が続いているから、矢代も警戒心薄れていますね(だから何かが起こるとか、そういう事が言いたい訳ではないです、本当です!)
水妖日の正午さがり(2013年)
でた~クソガキ!みたいな回ですが、正午少年は何気に登場回数多いです。
『血肉を纏いて舞い候』『蛇縄麻』『水妖日の正午さがり』『霊酒つくよみ(後日談含む』
年下相手という事で、矢代も露骨な態度を出したり出さなかったり……
しかしこの水妖日~冒頭で「君が唯一の候補生かい」と言われているので、今は随分と候補生が減った様子です。つまり夜が候補生であった時期が、突出して激戦だったのではないかと推測。 -
《pixiv》生死滲出
ようやく手直し出来ました。辻褄合わせやエロシーンの関係で、かなり後回しにしてきた過去作です。この数年で登場した里モブも、名前程度は登場しています(分からずとも話に問題無し)
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし
引用したのは三橋鷹女の句。作中では秋を背景に云わせたが、季語は鞦韆で〈春〉という。
どの様な解釈かというと、鞦韆も愛も、能動的にならねば動かぬといったところ。
鞦韆(しゅうせん)はそれぞれ一文字ずつ「鞦」「韆」でも、ブランコの意味を持つ。本来は中国の宮女が遊ぶ遊具名。性具も兼ねていたと言われており、漕ぐ宮女の脚が見え易い為、そこから夜伽に呼ばれる流れ。
日本でブランコと呼ばれ始めたのは江戸時代から。大正7年にも「鞦韆に抱き乗せて沓に接吻す」という句を高浜虚子が詠んでおり、敢えて「鞦韆」と書く場合は、性的ニュアンスを含ませる意図もある様子(すべてでは無い)
俳句では無いが、谷山浩子の「夜のブランコ」も情感溢れる背徳の歌なので、良ければ歌詞だけでも見て欲しい。機会が有れば聴いて欲しい、曲調が夜中の空気。
リンのそれは愛情なのか?
〝自分の事を憶えていて欲しい〟という欲求は、愛の様な気がする。
これはリンが時折「昔の主人(サマナー)」を思い出している事からも窺える。なんとなく、ずっと憶えている、主人の一喜一憂を。主人が逝去しても里を出ないのは、思い出から離れ難いのではないか。機関を憎悪する根源はリンのかつての主人であり、リンは夜の中に同じ憎悪を見出し、その火を育てた。程度の重さは違うかもしれないが、リンは勝手に想いを呪いへ変換し、それを夜に継承したのだ。
この「かつての主人」は当時から浮かんでいるが、詳しく書く予定は無い。キリが無い、広げようと思えば恐らくどこまでも書ける。モブとして出してきた里の面々、御上たち、谷の候補生時代だとか、蝦蟇や狸(リー)の家系、霊酒つくよみの酒蔵を造った過程、風間刑事の部下二名(擬態彦兄弟)、帳の下里や旅行先の人々……
執筆しながらプロット立て「勢い任せ」で書くこと9割だが、サブキャラや捏造モブキャラはたった一度の登場だろうと「性質」を一番に考える。外見情報は最後に決まる。脳内に一先ず貯えておけば多いほど勝手に繋がっていく為、逆に動かし易くなっていく。
簡単な相関図は『耽読魔酔』に載せたが、サブモブまで載せた場合はスペース足らずになると思う。縁や因果や念の多い程、魂に重量が出てくる気がする。しかし天外孤独には天外孤独の世界が有るから、存在する限りは相対も確実に在るとイメージする。世界を狭く極小に捉え、重量の水準を替える。
自分の書く「ヤタガラスの里」は「葛葉の里」を取り込み形成された為、葛葉一門に対しそれこそ〝使役する〟かの様な扱いをする。あそこに飼われるサマナー達は、管の様なもの。多く有れば良し、中身が強ければ良し、吸い込みも吐き出しも出来なくなった管は捨てるが宜しい。そんな管たちの狭い世界だ。
夜は何故怯えたのか?
自分から要求しておきながら、接吻ひとつで怯え震えた。これは焦燥からリンと深い契約を結ぼうと試みたものの、性行為への嫌悪、そしてリンに対する近親感が拒絶反応となって出た。
予測出来なかった訳では無く、逆にリンから激しく拒絶されれば縁が切れるかもしれない。それでも訴えたのは「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」に従った為だろう。襲名すれば疎遠となり、リンも次世代の指導にあてがわれる。自分が望めど連れて行けないのなら、物理的影響を互いに強くする契約を、里に構わず勝手に結んでしまえという事だった。
しかし万が一、ここでリンが快諾どころか〝これ幸い〟と肉欲をぶつけた場合も、夜は壊れていたのではないか(それだけは無い筈と思い、縋った為)
近親相姦に関しては「フフッ……だって僕、家族居ないもの。解からぬよ、そんなモノ」とSS『四十八願顔掛け』で述べた夜だが、別のSS『核語りき』では御上のタム・リン(夜のタム・リンとは別個体)に犯され気が動転している。 -
《pixiv》故意文
《pixiv》とってこい
今気付いたのですが、これどちらも犬の話ですね。
動物と縁が無さ過ぎる為、それを素としたキャラクターを書くのが苦手であります。人間書くのが得意かというと、そういう訳では無い。〈どうぶつとわたし〉に関しては追記で……(二次創作あまり関係無いですが)
故意文(2013年)
合体時の「悪魔の手紙」に関し妄想した結果、生まれた話だった様な……それと〝幻獣妖怪などの犬は、視覚も犬のそれなのか〟と疑問を抱いた時期が重なった。しかし余談にも書いた通り、私はドアマース初出のノベライズを読んでおりません! 真4の雑魚としては狩ったけど、使役した記憶は無い。
ちなみに公式ノベライズ読めない理由は、怖いから。公式ノベライズといえど派生作品なので、気楽に読んでも良いのでは?と思われそうですが、文章により解像度を上げられるとまた別の怖さが有る。媒体が漫画のマレビトは、びびりながらもなんとか読めた。
普段から捏造だらけの二次創作書いてるので、気にも留めない様に見えるかもしれませんが、それは「原作ゲーム以外を見ない様にしてるから」書いてこられた訳で、そういうコントロールをしなければ作品公開やらイベント参加も無理だったと思います。だから「自分の書いたものを許してくれている(様子がある)」人としか交流できないという。
こんな二次書きながら、自分から積極的に交流しようとは思えない、怖過ぎる。
とってこい(2010年)
「タム・リンが時折入る事のあった管」の存在を考え、そこから書いた記憶。この管は紺野にとって御守りに等しい遺品だが、功刀の為に文字通り〝断ち切った〟話。なんでもなく短編枠に置いてましたが、結構重要な分水嶺と今なら思う。
紺野がライドウを目指したのは9割リンの為であり、襲名と同時に彼を消してしまったからこそ呪いの様に残留している。ライドウを自分にとって、意味の有るものにしなくてはならないから。
それにしたって功刀も意地で謝らない辺り、よほどキレていたかどうなのか。 -
《pixiv》1-35 JACKPOT!
一章におけるダンテ登場回、これが最終です。
そして一章自体も、次回やっっっと最終回です。連載当時の何倍の期間かかったことやら……
35話キャプション余談にも書いた通り、ブラッシュアップ版最終回は大幅加筆する予定です。などと豪語したものの、細かい部分はまだ考えてません(ええっ……)
主人公が人修羅こと功刀なので、彼の視点だと場合によっては記憶が飛び飛びになる。
前の周回の記憶が消えてはいないものの、OFFになっている状態というイメージで周回が始まる為、一章ラストは本当に色々すっ飛ばしてしまったのですね。その辺りを、もう少し情報入れていこうかなと考えています。二章はライドウ視点も増え、完全に主人公二名といった具合になっていくので、pixivで追っている人はお楽しみに。
まあしかし自分の描くダンテは、他キャラと比較すると随分優しい表情になる。これは脳内の矢代ヴィジョンという事か……でもダンテはあくまでも前回のヤシロに思い入れが有り、眼差しは現在のヤシロを突き抜けている訳で。だからその優しい姿は、過去に向けられたもの。
とはいえ、ダンテはオリジナルからして慈愛を持つ人と認識しておりますので、熱量は違えど色んな人(もしくは悪魔)に向けられてきたもの、とも言える…… -
《pixiv》初夏のRhodonite
《pixiv》栄光の手
夜を駆ける
初夏のRhodonite(2011年)
アルラウネとの馴れ初めを、まず考え……そこから薔薇園のロケーションを活かす構成した記憶。このような「悪魔との定期更新の機会」が有ったとして「徒花・明END」の夜(つまり中身が…)はどうしていたのだろうと妄想し、対となる話まで展開した具合。SS「夜の女王」からも分かる通り、矢代は夢中になると屋外とかどうでもよくなるようです。
栄光の手(2015年)
余談にも書いた通り、先に帳番外SS「Demonio」が来ていた筈。其れひとつで存在感が強く異彩を放つ、そんな呪術的アイテムに惹かれる。ラストでライドウが妄想するように、人修羅の手首を落としてみても良かったが…手首落としは他の話(徒花)でやっている為、そちらのインパクトを大事にした。ちなみに、足首落としはまた別の短編に有ります。
夜を駆ける(2009年頃?)
キャプションに書いたように、楽曲から想起した小話。サイトTOPの「web拍手御礼ログ」からも一部読めます。しかしそちらはサイト改装を控えている為、放置状態で……サイト初期の形式で良い場合は main → Mugic&webclap ss から読めます。
スピッツは他に「水色の街」「俺の赤い星」が好きです、前者は瑞々しい死、後者は乾いた生、そんな感じがするので。 -
《pixiv》金魚玉
《pixiv》魔鏡ショウ
《pixiv》chaosの零余子
pixiv手直し再録系は、複数まとめて更新報告でいいか、というノリになってきました……
この3本は2012~2013年作品ですが、長編一章より断然直し易い。今の書き方に寄ってきた頃かなと思います。
金魚玉(2012年)
「飼っているのか飼われているのか」というニュアンスは他作品でもよく滲ませるのですが、これは顕著かと。何処から想起したかあまり憶えていない、というよりは幾つかの要素が揃った段階で思い浮かんだ話と推測します。球形の吊るし金魚鉢、檻を壊す、真珠の涙、膨れ上がったらんちゅう、夢の蝕み、イメージの数珠はこの辺り。鉢の世界が球形であるという共通項から、ボルテクス界と重ねた。
魔鏡ショウ(2013年)
帳文庫版に書き下ろした話、これは舞台から決めた覚えが有る。帳エピローグでは欧州だった為、次の旅行話はアジア圏にしたかった。話には必ず、悪魔か魔術的なアイテムを出すという信条が有る為、骨董屋に並んでいて違和感の無い鏡にした。中国の魔鏡という事で照魔鏡、音から魔鏡→魔境に繋げ、魔都と喩えられる上海に決めた。テーマのせいで最後は鏡プレイになった、不可抗力。
帳の良い所は、数十年単位の時間の開きを書ける事。
chaosの零余子(2012年)
二重フェイクが特徴的な回ですが、大体思い付きです。試験で「どちらが本物か?擬態者はライドウ」をやる事は決めてあったものの、その前後は特に固まっておらず。凪と人修羅をデートさせ始めた辺りで「この段階から騙した方が面白いし、ライドウにとっては擬態の慣らしになるな」と感じた為、突発的に二重となりました。
夜の仲魔のアマツミカボシは、ゲームと比較すると妙なテンションですが気にしないでやってください。 -
《pixiv》1-34 白銀の御使い
《pixiv》催涙雨に溺れる僕
いよいよブラッシュアップ版長編一章も、残す所2回となりました。
丸々一話分ほどの加筆を目論んでおりましたが、この様子だと最終話がその流れになりそうです。
そして七夕という事で、過去にweb拍手御礼SSとして公開していた「催涙雨に溺れる僕」をpixivに掲載、2010年の作品という事でなんと12年前……
テキストの外ではそれだけの年月が経過しましたが、夜も矢代もそうそう変化は無いですね。私自身、よく飽きもせず続いているものだと感じます。
この七夕話に限った事では無いのですが、矢代は人間に戻ろうと奮起するほど人間から離れ、元々人間である筈の夜は「人間に成りたい」というより正確に言えば「社会のノーマル(平均)に成りたい」が近いのですね。この調子なので、両者とも難しい訳です。
矢代は難所突破に悪魔の力を発揮しようと「矜持(理性)を持ち続ければ」彼の思うところの人間、最低でも半魔では有り続けるわけで。夜も立場や環境に構わず「自分は人間である」と自覚が持てる様になれば、既に肉体は条件クリアしているので解決できます。
と、文章にすれば容易ですが、矢代の理性の箍は戦いのたびに危うく、夜の生命力のタイトロープは切れかかっている為、経過するだけ人間への羨望は強さを増し、同時に諦観も見え始める。 -
《pixiv》【帳エピローグ】訪れぬ夜明け
本編後日談……とは言っても数十年後の話、そこそこ時間経過しています。
サイトで読了済みの方はご存知の通り、タヱちゃんの子孫らしき人物がメインという、なんとも勝手な作品です。
これは「その後、幸せに暮らしましたとさ」の表れとして書いたのですが、以降も定期的に番外編が更新される辺り、自分でも結構気に入ったシリーズ(関係性)の様です。
長編や他連載とは全く違うタイプの結末を迎えている為、話を考える時に自由の利く範囲が少しずれている。それが気分転換に丁度良いのではないかと思っています。
帳と対極にあるのが徒花で
閉じた世界での悠久━他世界に渡る因果の終着
娶った流れから━他者に取られた流れから
記憶に潜る━記憶に潜られる
生き返る為に死ぬ━生かす為に死ぬ
もっと挙げる事も出来ますが……
徒花も「終わる事」でひとつの答えに辿り着いている為、矢代と関わる事なく任務のどこかで野垂れ死んでいたよりは、幾らか解放が有ったのではないでしょうか。
希死念慮の強い夜は「自分の都合で命を捨てる」イメージが有りましたが、結局は「他者の為」に捨ててしまった(SS「口吻の種」でも指摘されている。)
死の恐怖って基本的には「永遠の別れ」「未知」の二大要素と思うのです、前者を更に鮮明にすると、夜の場合「自分が居なくなった後も矢代は生き続ける」事じゃないかと最近浮かびます。自分が居なくても生きられる者を縛っていた、縛る事を赦されていた……そこに触れると「避けようの無い情愛」を自ら感じ、別の感情と板挟みになる訳です。
そして何より矢代が誰かのものになってしまう可能性を高める選択なので、本来の希死念慮とは別軸で死への忌避が有る。それでも矢代を生かし自身の死を選んだのは、夜が散々矢代に対し「つまらないプライド」と哂っていたものと同じ、自尊心でしょう。
矢代は生き抜く為に泥臭さを見せるが、夜は死ぬ為に泥臭さを見せた気がする。 -
《pixiv》雨病み
《pixiv》虚色の集真藍
《pixiv》外待雨で柘榴の水溜り
梅雨の季節という事で、過去作3つを手直ししてpixiv掲載。
「虚色の集真藍」のイメージレスポンス(「ベースになった作品」というリンク)にある通り、以前発行した「耽読魔酔」に寄稿して頂いた三次創作も掲載済みです。生ゴミミックさん、ありがとうございます!
さてとりあえず上記3作に絞りましたが、そもそも実際の天気としても(眺める分には)雨は好きなので、そういう風景の作品ばかり増えてしまいます。夏の雨とか、ライドウの外套一式装備どう考えてもやばいでしょう。刀の柄もやたら湿って、どこかひんやりするんですよね。